伊藤恵ピアノリサイタル@第14回 茨城国際音楽アカデミーinかさま

2018.03.23.Fri.10:10
3/21、春の冷たい雨の中、車を飛ばして笠間市へ行ってきました。毎春、私が楽しみにしている茨城国際音楽アカデミーを聴くためです。今回で14回目。このアカデミーではピアノとヴァイオリンを中心とした講習が主となります。一方で指導講師等のコンサートや講演会なども行われ、クラシック好きじゃない方でも楽しめるプログラムが用意されています。このアカデミーの受講生のレベルは非常に高く、国内外のコンクールの上位入賞者を数多く輩出しています。昨日は、笠間公民館で講師の伊藤恵のピアノリサイタルを聴き、その後、別会場で2名の受講生の公開レッスンを聴きました。

まずは「シューマン弾き」で有名な伊藤恵のピアノリサイタル。演目は以下のようなものでした。

■伊藤恵|ピアノリサイタル
■2018年3月21日(水・祝)14時~@笠間公民館大ホール
・ベートーヴェン:ピアノソナタ第23番ハ短調op.53 「ワルトシュタイン」
・ベートーヴェン:ピアノソナタ第21番ヘ短調op.57「熱情」
【休 憩】
・ショパン:12の練習曲集op.25
(アンコール)シューマン:「幻想小曲集op12」から第2曲“飛翔”

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「ワルトシュタイン」の冒頭、オッ!と驚いた箇所がありました。アレグロ・コン・ブリオで弾かれる馬車が駆けぬけていくようなフレーズ。和音の連打にある最初の低いドの単音(譜に赤い○を付けた音)が明瞭に聴こえたことです。この曲はいろいろなピアニストで実演やCDで聴きましたが、この単音は和音の連打で、どうしても埋もれてしまうことが多い。次の「熱情ソナタ」の冒頭の序奏に出てくる「運命の動機」のところ、誰が聴いてもそれと分かるような弾き方。ピアノ受講生に“楽譜をちゃんと読んで弾くこと”を講師が体現して示しているかのようでした。教育的指導?w。
伊藤が弾いたベートーヴェンの2曲のソナタで印象に残った点は、内声部の音を意識していたことと、感情が強まるところと夢見心地のところを対比的に弾いていたところ。これはシューマンの音楽でよく見られる特徴とも言えそうです。

後半はショパンの練習曲集op25。ショパンの練習曲集にはop10とop25の2セットあります。この2つの練習曲はバッハの平均律を意識していることは明らか。前者op10は「別れの曲」「黒鍵」など単品ではショパンの代表作と呼ばれるものがあります。しかし全部を続けて聴くと、私には不満がありました。それは調性的な配列の破綻があるからです。op.10では、長調と短調の平行調の関係の曲を組み合わせなのに、7番と8番が長調同士のカップリングになっていて整合性が取れていません。一方で後者op25はop10の反省を踏まえていると考えられます。op25では、op10で試みた長調と短調を組み合わせた作り方を止めて、12曲中それぞれの隣り合う曲同士の調性の関連性(平行調・同主調・属調など)を考慮して作曲されています。伊藤が弾くop25は、12の単品から成り立つ練習曲と言うよりも、12曲をひとつにみた全体像として捉えたらどうかしら?と問いかけているような演奏だった。伊藤のop25の演奏には2つの山がありました。最初の山は超絶技巧で有名な6番嬰ト短調、そして2つ目は、リストのロ短調ソナタのような10番、難曲「木枯らし」の11番、うねるようなアルペジオの12番。これらで右肩あがりの高い崖をつくっていました。私にとって練習曲集op25は、シューマンの「謝肉祭」「クレイスレリアーナ」のような“物語的流れを持つファンタジー”と捉えた方が理解しやすいです。実際、伊藤は大河のようなゆったりとした流れの中で、骨太さと剛直さを伴ったパフォーマンスを聴かせてくれていました。

アンコールの前に伊藤のスピーチがありました。
「ベートーヴェンのソナタを人前で弾くのは超久しぶり。このプログラムを組んだ時、大きな覚悟を持って臨んだので緊張が半端なかった。本当に疲れた!テクニック以外の内面的な部分をもっと大切にして今後も弾いていきたい」という主意だったと思います。そして弾かれたのが十八番のシューマンの「飛翔」。アカデミーに臨むピアニストの卵たちのスタートだけじゃなく、講師の伊藤自身もそろそろ還暦なので、ピアニストとして第二のスタートをかなり意識していたかのようでした。

終演後、時計を見たら16時前。
私は車までダッシュして、公開レッスンが行われている会場へ向かいました。世界的な名ヴァイオリン教師ザハール・ブロンの公開レッスンを受講していたのは、2016年の日本音楽コンクール1位の小川恭子。曲はシューマンの幻想曲ハ短調op131。小川の演奏を聴いて、ブロンは自演しながらフレージングやボウイングなど細かいところを指導。演奏がどんどんよくなっている様子は手品のようです。
次に別室で聴いたのは桐朋音大教授村上弦一郎の公開レッスンで、小6か中1ぐらいの女子が弾くハイドンのソナタ59番。指は非常によく動くけれど機械的。音楽にはなってない彼女の演奏を聴いた村上は、「オーケストラの楽器を想像して弾いてみましょう。ヴァイオリン、チェロ、フルート、オーボエの音をさがしてみよう。それとこの曲の中でいちばんおもしろいと思う箇所は何処かな?」など、まずハイドンの音楽的特徴を語りながら指導していました。その後の演奏内容がガラッと変わったのは言うまでもないです。
このアカデミーのおもしろさは、講師の指導で受講生の演奏が大きく変容するところに立ち会うことができることです。来週は有望な受講生の公開レッスンがあるので楽しみです。

オール・プロコフィエフのヴァイオリン・リサイタル

2018.03.16.Fri.22:58
3/8木曜、ジャパンアーツさんから招待券をいただき、滝千春氏のヴァイオリン・リサイタルを聴いてきました。オール・プロコフィエフ(以下、プロコ)という滅多にない意欲的なプログラム。私、プロコのヴァイオリン作品、わりと好きです。ロシア的な憂愁の中にあって斬新なリズムとモダンで甘美な響きに惹かれるからです。

実は7~8年前、私は滝氏の演奏を聴いたことがあります。それは私の地元の茨城県で毎春に行われている「クールシュベール国際音楽アカデミーinかさま」(現名称:茨城国際音楽アカデミーinかさま)。演目は覚えていないのですが、硬質でシャープな音色という記憶。なんとなく彼女の演奏スタイルとプロコの音楽だったら、なんとなく相性が良さそうと予感しました。

■滝千春ヴァイオリン・リサイタル
■デビュー10周年記念 プロコフィエフ―作曲家の肖像
■2018年3月8日(木) 19:00~@紀尾井ホール
■出演:滝 千春(ヴァイオリン)・沼沢 淑音(ピアノ)
<オール・プロコフィエフ・プログラム>
バレエ音楽≪シンデレラ≫から"グラン・ワルツ"(編曲:M. フィフテンゴリッツ)
バレエ音楽≪ロミオとジュリエット≫ Op. 64(編曲:L. バイチ/ M. フレッツベルガー)
ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 Op. 80
【休 憩】
交響的物語≪ピーターと狼≫ Op. 67(編曲:根本雄伯)<世界初演版>
ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 Op. 94bis
【アンコール】
キュイ:《万華鏡》から“オリエンタル”
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

このプログラムをみて感じたのは、プロコの2曲のヴァイオリン・ソナタが映えるように全体が設計されていることです。冒頭のシンデレラのワルツはオープニング(A)、ロミ・ジュリがソナタの前奏(B)。そしてソナタ1番(C)。したがって前後半の構成は相似形になっています。内容を図式化すると
(A)→{(B)+(C)}→(休憩)→{(B’)+(C’) }
実演を聴いてみると、おそらく上記のようなことを意識していたと感じました。例えば、前半のロミジュリの終曲「ティボルトの死」の悲劇性は、それに続く不安な響きではじまるソナタ1番と流れがよかったです。(B)と(C)の流れは、ある意味で物語的とも言えるかもしれません。
彼女はプロコのソナタ2曲、相当に弾き込んでいるようです。他より圧倒的に完成度が高かった。私は2番より1番が良いと思いました。孤独感と絶望感、それと微かに見える希望の兆しが見えた。しかしながら、2曲ともプロコの特徴でもあるメタルタッチな音の粒とスケールの大きさを意識されていたようです。音色的には、前半は悲劇的なクールブルー、後半はロマンティックなローズピンクに音を染められていました。プロコの音楽を聴くと私はカンディンスキーの抽象画をイメージすることが多いのですが、この演奏からはピカソの新古典の時代の絵画のような健康的エロスを感じました。20代後半ぐらいと思われる滝氏らしいと言えるかなw。

アンコールに演奏されたのは「亡き王女のためのパヴァーヌ」。プロコはラヴェルを非常に尊敬していたという説明がありました。確かにパヴァーヌの長音を活かした息の長い旋律は、プロコのソナタ2番や協奏曲1番の冒頭部分に通じるものがありそうです。

終演は午後9時半。ヤバイ。予約していた高速バスに乗り遅れないように、雨の中、ダッシュでホールを発ちました。東京駅八重洲口についたのは発車10分前。冷や汗w。

藤村実穂子 メゾソプラノ・リサイタル@水戸芸術館

2018.02.28.Wed.19:22
2/25日曜、水戸芸術館で藤村美穂子のメゾソプラノ・リサイタルを聴いてきました。藤村は日本よりも欧州で有名なオペラ歌手。バイロイト音楽祭に9年連続で出演したそうです。彼女の歌声はTVやFMで聴いたことがありますが、実演は初めてとなります。

私はシューベルトやシューマンなどのドイツ歌曲が超好きです。現役ワーグナー歌手が歌うドイツ歌曲を是非聴いてみたいと思い出かけてきました。先週、クラシック好きのマイミクさんが大阪・いずみホールで藤村のリサイタルをお聴きになった旨を日記を書かれていました。その時、藤村は体調不良のため座唄したけれど、内容的には良かったということでした。歌手は体が楽器!水戸公演がどうなるのかと懸念しましたが、結局、それは杞憂でした。ワインレッドのロングドレスで登場し、誠実な歌唱を披露。私も満足できました。

私が好むリート歌手は、メゾ・ソプラノやバリトンといった低めの声質です。わが国のリート系メゾゾプラノ歌手の第一人者といえば白井光子。かなり前に実演を聞いた時の白井の歌声は「静かで深い湖」という印象。一方で、今回聞いた藤村は「屹立する大樹のような強さ」がある歌手という印象を持ちました。
それはステージマナーでも垣間見れました。1曲目のシューベルトの「ガミュメート」が歌い終わった時、場内からパラパラと拍手が生じました。その時、藤村は目を閉じ、場内が静まる毅然として待ち、それから2曲目を歌いはじめました。その気迫にビックリ。歌手としてのオーラが尋常ではなく、まさにワーグナーの楽劇『ニーゲルングの指輪』に出てくる神々の長ヴォータンの妻フリッカのような威厳でした。

今回演奏されるのは、
前半がシューベルトとワーグナー、後半がブラームスとマーラー。

最初のシューベルトの歌曲。1曲目の「ガミュニート」、2曲目の「糸を紡ぐグレートヒェン」は、喉の試運転という感じでやや硬い感じでした。しかし3曲目の「ギリシャの神々」になると、静かで長いフレーズを透徹した歌声で表現。素晴らしかった。その後の「湖上にて」「憩いなき愛」で調子を上げていきました。微妙な強弱や、ニュアンスの変化など非常によく考えられた演奏だったと思います。ただ私の好みですが、「歌う」というよりフィッシャー=ディスカウのような「語る」というニュアンスがあればもっとよいと思いました。

ワーグナーの「ヴェーゼドンクの歌」は、藤村にとっては自家薬籠中の曲と言ってよいでしょう。シューベルトに比べたら、ずっと歌い慣れている感じがしました。シューベルトの天真無垢からワーグナーの情念と官能の世界へワープw。「ギリシャの神々」もそうでしたが、藤村はワーグナー特有の長いフレーズを朗々と歌うが巧みだと思いました。

後半のブラームスの歌曲を聴きながら、オッ!と思ったのは、別々の作曲された5つの曲を組み合わせて、若者の恋物語を編むかのような流れになっていたことでした。最近、“頭脳派”と呼ばれる歌手がよく行う趣向ですね。1曲目「セレナード」は、一般的には恋人へ贈る歌として作れれることが多いのですが、ブラームスの「セレナード」は若者がセレナードを歌う様子を描写しています。2曲目「日曜日」、憧れの娘は日曜日の教会でしか会えない。3曲目「5月の夜」、鶯や鳩は5月の夜を満喫しているというのに若者は孤独の中にいる。終盤の孤独感を訴えるアリア風のところの歌い方、素晴らしかった!ここが山場でしたね。(このリートはブラームスの大傑作だと私は思っています。)4曲目「永遠の愛」は恋人たちが愛情を確認しあうような対話の詞。5曲目「私の愛は緑」は、愛の酔いしれる歌。ブラームスのメロディによる歌物語、それなりの楽しめました。

次のマーラーの「リュッケルトの詩のよる歌曲」。この曲は、5つの歌の順番を演奏者が自由に変えられる特殊性があります。藤村は、私が持っているCDの中ではトーマス・ハンプトン(指揮バーンスタイン&ウィーンpo)と同じ配列でした。藤村が決めた配列は、貞淑な婦人の若きから老いまでの恋愛観と心情の変化を描く物語になっていました。この配列では第4曲目「真夜中に」の終盤のコラール風のメロディの歌いまわしが劇的でした。ブラームスとマーラーの演奏は、中間部にピークを置き、2つの山を登る印象の構成になっていました。

今回の藤村の演奏を聴いて、シューベルトやブラームスのような小さめの歌曲よりも、ワーグナーやマーラーの管弦楽伴奏を伴うスケール感がある楽曲の方がフィットする印象を受けました。それは自然でしょう。しかし加齢によって自分の居場所がオペラからリートの世界へ移行しても、十分に歌える音楽性があることを実証してみせてくれました。そしてこの歌手の「一生、歌っていく」という覚悟のようなものも感じられました。

ピアノで共演したヴォルフラム・リーダー、
はじめて聴きましたが巧かったです。例えばシューベルトのピアノパートの情景描写。シューベルト「グレートヒェン」の糸車が回る表現、ブラームス「5月の夜」の星が瞬く静かな夜空の表現など。それと弱音の弾き方が秀逸。脇を固めながらも、存在感が有りました。先週、亡くなったばかりの俳優・大杉漣さんのようでした。

■藤村実穂子 メゾソプラノ・リサイタル
■2018年2月25日(日)15時~@水戸芸術館
 メゾソプラノ:藤村 実穂子
 ピアノ:ヴォルフラム・リーガー

シューベルト:ガニュメート D544
シューベルト:糸を紡ぐグレートヘェン D118
シューベルト:ギリシャの神々 D677
シューベルト:湖にて D543
シューベルト:憩いなき愛 D138

ワーグナー:ヴェーゼンドンクの詩による歌曲
 第1曲 天使
 第2曲 止まれ!
 第3曲 温室で
 第4曲 痛み
 第5曲 夢

【休 憩】

ブラームス:セレナーデ 作品106の1
ブラームス:日曜日 作品47の3
ブラームス:五月の夜 作品43の2
ブラームス:永遠の愛 作品43の1
ブラームス:私の愛は緑 作品63の5

マーラー:リュッケルトの詩による歌曲
 第1曲 あなたが美しさゆえに愛するなら
 第2曲 私の歌を見ないで
 第3曲 私は優しい香りを吸い込んだ
 第4曲 真夜中に
 第5曲 私はこの世から姿を消した

【アンコール】
マーラー:原光(少年の魔法の角笛より)
R.シュトラウス:明日!作品27-4

リュッケルトの詩による五つの歌と映画『仮面の中のアリア』

2018.02.24.Sat.23:58
2/25日曜、メゾソプラノ歌手の藤村実穂子のリサイタルを水戸芸術館で聴きます。演目にあるマーラー作曲「リュッケルトの詩による五つの歌」を予習するつもりで、私が持っている4種類の演奏を聴いてきました。ディートリヒ・フィッシャー=ディスカウ、トーマス・ハンプトン、ジャネット・ベーカー、白井光子。この曲のおもしろさは、5曲の演奏順が特に定められていないので、歌手の裁量で曲順を決めるという自由が与えられることです。したがって歌手が自分の意図を設計できる。上記の歌手も、それぞれの順番で歌っています。この件は日を改めて記したいと思います。

この「リュッケルトの詩による五つの歌」の中で、最も有名な曲は“わたしはこの世に忘れられ”だと思います。学生だった30年ぐらい前に見た映画『仮面の中のアリア』で流れていました。この映画の主演はバリトン歌手のホセ・ファン・ダム。彼はカラヤンの重用された名歌手。この映画を見て、私は声楽曲のおもしろさを知るきっかけになったと言ってもよいかもしれません。おかげで、私のCDコレクションの1/4はバッハ、モーツァルト、シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフらの声楽曲です。

映画のあらすじは鮮明に覚えていませんが、ざっと書くと以下のようなものです。
ホセ・ファン・ダム演じる高名なバリトン歌手は、自分の病を察知し、ステージで引退を表明。隠遁生活をしていた時、二人の男女の若者に教師として歌を教えはじめる。厳しいレッスンで、二人は実力をつける。ある貴族が主催するコンクールに招かれ、二人はすばらしい歌声を披露する。そしてファン・ダムの弟子の青年と貴族の弟子が同じ仮面をつけて、どちらが歌がうまいか勝負する。勝負はファン・ダムの弟子の勝ち。しかしファン・ダム演じる歌の教師は、コンクールの会場に姿を現さず、自宅でコンクールが行われていた時間に亡くなっていた。

私の記憶が確かなら、“わたしはこの世に忘れられ”は、映画の中の歌の勝負で歌われていたような気がします。マーラーの交響曲で出てくる甘美なアダージョを彷彿とさせる哀しい透明感に満ちたメロディに、私はたいへん感銘を受けました。(最近、日本でも『のだめカンタービレ』『オケ老人』『マエストロ』といったクラシック音楽を題材にした映画がヒットしましたが、『仮面の中のアリア』はとても静かな映画で、様相がまったくちがいます。)

リッケルトの詩を読むと、どことなく悟りきった孤独感、寂寥感、厭世観といった東洋的ニュアンスが感じられます。後年、マーラーは交響曲「大地の歌」で李白らの中国の漢詩を用いた独唱付きの音楽としていますが、そういう嗜好の素地が、このころからあったような気がします。

とりあえず日曜日にどんな藤村実穂子がどんなパフォーマンスを聴かせてくれるのか楽しみです。せっかくなので、you_tubeにあったジャネット・ベーカーが歌っている“わたしはこの世に忘れられ”の動画を貼ります。指揮はジョン・バルビローリ、ニュー・フィルハーモニア管。冒頭のコールアングレとクラリネットのソロもいい。

https://www.youtube.com/watch?v=GeqiE8xisvs

河村尚子|ピアノリサイタル@浦安音楽ホール

2018.02.15.Thu.17:21
■河村尚子の現在(いま)を聴く~ベートーヴェンを中心に~
■2018年2月12日(月)14時@浦安音楽ホール
■ピアノ:河村尚子
♪バッハ:「羊は安らかに草を食み」
♪バッハ:パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV 825
♪ブラームス:間奏曲イ長調op118-2
♪ブラームス:バラードト短調op118-3
♪ブラームス:間奏曲ホ長調op116-4
♪ブラームス:奇想曲ト短調op118-3
 【休 憩】
♪ベートーヴェン:ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」
♪ベートーヴェン:ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2「月光」
 【アンコール】
♪バッハ=ケンプ編:フルートソナタ第2番変ホ長調BWV1031~シチリアーノ

建国記念日の振替休日の月曜日、午前中は竹橋の近美で「熊谷守一展」をみた後、午後から昨年できたばかりの浦安音楽ホールで河村尚子のピアノリサイタルを聴きました。河村のリサイタルを聴くのは3回目ですが、5~6年ぶりです。今回のリサイタルはバッハ、ベートーヴェン、ブラームスというドイツの大作曲家「3B」が演奏されます。入場してプログラムをみると、バッハの曲順の変更と、ブラームスのピアノ曲の追加などが目に留まりました。

最初に静かに弾かれたバッハの「羊は安らかに草を食み」は、彼の世俗カンタータのソプラノのアリアをピアノ独奏に編曲したもの。前奏の柔らかい響きはオルガンのよう。歌うように美しいメロディが紡がれました。右手の和音は風が葉を揺らす音のよう。森の中で聴いているようなゆらぎ(1/f)感じます。たしかこの曲はFM「朝のバロック」のテーマ音楽でした。2曲目のパルティータ1番は、間髪入れずに続けて演奏されました。第1曲のプレリュードのトリルは鳥のさえずりのよう。情感的な音のつながり方が滑らかでうまい!と思いました。パルティータはきわめて明晰な演奏で、聴く者の心が整うものでした。

次のブラームスの4曲は最晩年の渋い演目なのに、河村が弾くと5月の緑のような瑞々しさが感じられます。特に間奏曲イ長調は、昼のまどろみの中で、ゆったりと豊かな時間をすごしているような気持ちになります。しかし長調・短調の明暗が入れ替えをしながら4曲が続いて演奏されましたが、心がざわつく波乱の予感がして前半終了。河村はブラームスやシューマンなど内声の響きが厚い曲の演奏、うまいですね。

この時、リサイタルの全容がなんとなく分かった気がしました。前半は朝と昼の音楽。後半は月光ソナタがあるから夜。音楽で一日の時間のうつろいを表現しているのだろうか?と考えてた。そう思う理由は、初めて河村の演奏をつくば市で聴いた時、複数の作曲家の曲をたくみに配列しながら、文学的な香りを感じさせる演奏を聴かせてくれたからです。

後半の一曲目はベートーヴェンの悲愴ソナタ。超有名曲!(私が学生の時、友人に教えてもらってなんとか第2楽章のアンダンテ・カンタービレを弾けるようになったというエピソード付きw。)河村が弾いた悲愴の冒頭、びっくりしました。他のピアニストとはまったく異なる弾き方。楽譜には冒頭の和音をフォルテピアノと記されています。ガーンと和音を響かせた後、物理的に音が弱まるまでをフォルテピアノと解釈した考えで弾く人が多いと思います。逆放物線の右半分のイメージです。一方で、河村はガンとアクセントを聴かせて響かせた後、瞬間にペダルを離して急速の音を弱めてしまった。それが音で断絶の壁をつくるかのよう。このような弾き方を聴いたのは初めてです。楽譜をみる限りは、それもアリのような気がしますが、その時はあまり受け容れられない気分でした。演奏そのものは、冒頭の和音が起爆剤というか、推進力がともなってグイグイと迫ってきました。有名な第2楽章も歌うというより、早めのテンポで通過していってしまった印象。情感に乏しいように思われました。

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しかし次の月光ソナタになると、一転して「音の風景画家」のように情感豊かな演奏に戻っていました。テンポもやや早めだったかも。
演奏を振り返ると、このリサイタルはバッハが「起」、ブラームスが「承」、悲愴ソナタが「転」、月光ソナタが「結」、つまり起承転結という構成のようです。そう考えるのなら私にとっては新解釈の河村の悲愴ソナタの演奏はなるほど!と思えますが、はっきり言って、あの悲愴ソナタは個人的にはあまり好きじゃないです。
河村は6月からベートーヴェン・シリーズをはじめると訊いています。当初、行くつもりでしたが、今回の彼女の演奏を聴いて迷いはじめました。

最後に、はじめて聴いた浦安音楽ホールのことを書きます。約300人収容でシューボックス型の音楽専用ホール。ホールもそれなりに容積があり、残響は空席なしで1.8秒程度。客席構成がユニーク。1階席、その後方に中2階の席、そして2階席(バルコニー席を含む)。私が聴いた日は80%ぐらいの入り。私は2階のセンターの最前列でしたが、ピアノの響きもそれなりに明瞭でまあまあの音響だと思いました。
しかし、観客のマナーが最悪でした。演奏中、ペットボトルで水を飲む人がいてビックリ。キャンディをなめる人は多数。おしゃべりをする人、不愉快なビニル袋のカサカサ音。私、がっかりしました。さすがに演奏中に水飲みはまずいと思って係員にその旨を告げました。演奏中、スタッフはホール内にはいませんでした。このホールは、出来て日が浅いとはいえ、よき聴衆を育てる努力を怠っているようですね。誰も聴いていない館内放送をするだけでは駄目です。集客はよくても、クラシックの音楽会に行き慣れているような雰囲気の人はあまりいなかったかも。よい演奏会というのは、演奏者、観客、ホールの3要素が揃わないと成り立ちません。そういう点では、この浦安音楽ホールはまだまだですね。

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