第13回茨城国際音楽アカデミーinかさま

2017.03.31.Fri.12:56
毎年、3月末に笠間市で行われている
「茨城国際音楽アカデミーinかさま(旧称クールシュベール国際音楽アカデミーinかさま)」を
私は楽しみにしています。
受講生の巾は中高〜音大と広く、また彼らの演奏レベルは高く、
受講生の中には国内外の有名コンクールの上位入賞者も多く、
すでにプロデビューしている方もいます。

今年は3つのコンサートと1時間ほど公開レッスンを聴いてきました。

3/24夜は、笠間日動美術館における「ミュージアム・コンサート」。
3人のヴァイオリニストだけによる演奏。
出演者は小川恭子、土岐祐奈、飛田和華。
彼女たちもこのアカデミーの受講者でした。
プログラムもシブイ。

プロコフィエフ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 Op. 115(飛田和華)
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 Op.27-3「バラード」(土岐祐奈)
パガニーニ:カプリス第24番(土岐祐奈)
J.S.バッハ : シャコンヌ(小川恭子)
プロコフィエフ:2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 Op.56(土岐祐奈・飛田和華)

個人的には土岐さんが弾いたイザイが良かったです。
プロコフィエフのヴァイオリン曲もなかなか楽しめました。

3/26午後は、講師でもあるジャン=クロード・ペヌティエの ピアノ・リサイタル。
前半はモーツァルト・シューベルトのドイツの音楽、
後半はドビュッシー、ラベルらのフランスの音楽が演奏されました。

3/28は「ステューデント・コンサート」。
これは音楽アカデミーの受講生の中から選抜された方による演奏会。
実はこの演奏会がいちばんおもしろいです。
出演者はヴァイオリン10人、ピアノ9人。
休憩入れて3時間ほど掛かりますが、楽しめました。
個人的に気に入った演奏は以下の通り。

・谷昴昇|ショパン:スケルツォ#3。雄弁で強度がある演奏。音楽的体幹がよい。
・井上莉那|ベートーヴェン・ソナタ#30第1・2楽章。表情が豊かな演奏で魅了された。
・樋口一朗|リスト:ファウストのワルツ。圧倒的なテク。ロシアっぽい響き。
・河井勇人|ヴィエニアフスキ:スケルツォ・タランテラ。中3ぐらいなのに大物感漂う弾き方w。
・服部百音|ツィガーヌ。もうほとんどプロのレベル。すこし遊びが欲しい。
・土岐裕奈|サララーテ:バスク奇想曲。とても美しい音と表現力。技術も確か。

人生4度目のバレエ鑑賞|ベートーヴェン・ソナタ@新国立

2017.03.29.Wed.19:30
10日程前(3/19)、東京・新国立劇場で「ベートーヴェン・ソナタ」という創作バレエをみてきました。ちょっとバタバタしていてなかなか感想が書けませんでしたが、記憶が飛ぶ前になんとか書きたいと思います。この公演は、私にとって人生4回目のバレエ鑑賞です。サッカー観戦やクラシック音楽のコンサートは数えられないくらい行っていますが、滅多にバレエへ行かないので、回数だけはきちっと数えられますw。人生3回目のバレエは昨年末のプロコフィエフ作曲の「シンデレラ」でした。この公演の入場時にもらったチラシの中に、今回みた「ベートーヴェン・ソナタ」がありました。バレエ公演には消極的な私ですが、この公演には強い興味を持ちました。なぜならベートーヴェンの音楽は大好きで、かつ彼の音楽がバレエ化する姿がまったく想像できなかったからです。

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■新国立劇場バレエ団公演「ベートーヴェン・ソナタ」全2幕
■2017年3月19日・日曜14:00@新国立劇場中劇場
音楽:ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン
振付:中村恩恵
音楽監修:野澤美香
美術:瀬山葉子
照明:足立 恒
衣装:山田いずみ
舞台監督:森岡 肇

【キャスト】
ベートーヴェン|福岡雄大
カール|井澤 駿
ヨハンナ|本島美和
ジュリエッタ|米沢 唯
アントニエ|小野絢子
ルードヴィヒ|首藤康之


キャストをみると、「シンデレラ」公演に出演していた方が2人(福岡・小野)の名前がありました。配役名をみると、ベートーヴェンの生涯における重要人物の名前ばかりなので、公演を見る前から、内容がベートーヴェンの苦悩と悲恋であることがだいたい予想が付きます。注目すべきなのは、ベートーヴェン役とルードヴィッヒ役とあるので、ひとりの人間を2人のダンサーが演じるということでしょうか。そして私が最も注目したのは、ベートーヴェンのどんな楽曲が使われるかということです。当日、もらったプログラムにあったのは次の楽曲。

プロローグの時に、モーツァルト作曲の「レクイエム」(ピアノ版)
その後はすべて ベートーヴェンの音楽。(音楽はすべて録音が使われました。)
(第一幕)
ヴァイオリンソナタ第5番へ長調Op.24「春」より第1楽章
ピアノソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2 幻想曲風ソナタ「月光」より第1楽章
エグモント序曲Op.84
弦楽四重奏曲第9番ハ長調Op.59-3「ラズモフスキー第3番」より第2楽章
弦楽四重奏曲第7番へ長調Op.59-1「ラズモフスキー第1番」より第3楽章
ピアノソナタ第25番ト長調Op.79より第2楽章
(第二幕)
交響曲第7番イ長調Op.92より第2楽章
弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132より第5楽章
ピアノソナタ第31番変イ長調Op.110より第3楽章
交響曲第9番ニ短調Op.125より第4楽章
弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132より第3楽章

私は「ベートーヴェン・ソナタ」というタイトルから、ピアノ・ソナタのみが使われるものだと勘違いしていました。しかし楽曲リストをみて、ソナタは「ソナタ形式」のイメージであると考え直しました。ソナタ形式とは、提示部→展開部→再現部→終結部という音楽的な構成のこと。その音楽的な流れをベートーヴェンの生涯に当てはめながら創作されたものにちがいない。実際、公演内容もその通りになっていたような気がします。

【演出について】
この公演はコンテンポラリー系の創作バレエなので、ダンサーの個々の踊りだけでなく、振り付け・照明・美術・衣装など総合的に見る方がより楽しめるかなと思っていました。実際、私の席は中劇場の2回の中央だったため、上方から俯瞰するようにステージを見ることができました。とてもシンプルな舞台美術でした。しかしステージの使い方が前後半、対照的。前半は前方のステージを使っていました。背景には白い大きな布がヨットの帆のように三角状のスクリーンが掛けられていて、空いているところは後方のステージとつながっていています。このスクリーンがとても効果的に使われていました。それは「影」を見せる手法。スクリーンの前後から照明を当てて、実体ではなく影を踊らせる効果。非実体の影は拡大されるので、動きも劇的にみえます。一方で後半は、三角形状のスクリーンと取り去り、後方を含めてスクリーンは倍以上に広がりました。ステージは全体的に黒のトーン。無限遠方と最前線の距離感がとても長く感じられた。以下、これは私の想像ですが、ステージ最前線で椅子に座って苦悩や絶望を演技していたルードヴィヒ(首藤)は「今」、最後方で舞踏するベートーヴェンの関係者は「過去」の記憶という距離感だったのではないか…と。まさに時間と空間、光と影、白と黒という対立軸を設定した演出をねらったのでしょう。

【振り付けと出演者について】
もっとも印象に残ったルードヴィヒ役の首藤康之でした。ダンサーというよりも舞台俳優のようでした。台詞もあったし、存在感も際立っていた。踊るというよりも、椅子の座って最小限の動きの中でベートーヴェンの苦悩や葛藤を演じていました。しかしベートーヴェンの2面性を首藤と福岡雄大の2人で演じ分けるというのは、作品そのものをちょっと分かりにくくしている感じがしました。女性陣では、ヨハンナ役の本島美和が妖艶で大胆な踊りにビックリ。それとベートーヴェンの「不滅の恋人」と考えられているアントニエ・ブレンターノ役の小野絢子はシンデレラ役の時と同様、清楚で優雅な踊りでした。
全体的な振り付けの件。中村恩恵さんの振り付け、なかなかおもしろかった。私が2002年フランス外遊中にリヨンでみたイリ・キリアン演出のストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」の公演と似た動きが多々あったような気がします。(気の所為?)たとえば、最小限のシャープな動きとアクセント感、身体の伸び縮みみたいなところ。私はどちらかというと古典系バレエよりもコンテンポラリー系の方が好きなので、人間の身体表現の可能性を追求する不思議な動きに魅了されました。

【音楽とダンスの調和】
ベートーヴェンの音楽は、短い音型をさまざまに展開、変奏していく作曲手法でてきていますが、意外にバレエのリズムや流れが合うのが面白かったですね。「スプリング・ソナタ」のような流麗なメロディは言うまでもないですが、ベト7第2楽章の葬送風のタータタ・タータタという単純なリズム、弦楽四重奏の歯切れがよいフレーズなど。この公演では音楽は録音が利用されていましたが、一部、ピアノや弦楽四重奏団をステージにおいて、ライブ演奏があったらよりライブな感じが出たと思いました。

【ツッコミどころ】
交響曲第7番イ長調Op.92の第2楽章は葬送行進曲的な音楽です。この時、男性ダンサーたちの衣装は、下半身が人骨を思わせるデザインになっていました。やり過ぎじゃないか…ちょっと笑う。音楽だけで、「死」のイメージは十分に伝わります。

【ホールの雰囲気】
チケットは完売でほぼ満席でした。周りはやはり圧倒的に女性が多かったです。大劇場よりも中劇場の方が、ステージと客席の一体感が感じられて、私は好きですね。

【最後に】
振り付けの工夫が感じられるコンテ系の公演なら、またバレエを見に行ってもよいと思いました。しかし入場時にもらったチラシのほとんどは古典系のものが多数。私の人生5回目のバレエ鑑賞はいつになるでしょう?

シューベルティアーデ的だったメジューエワのリサイタル@ヤマハ・ホール

2017.03.24.Fri.16:26
先週3/17金曜の夜、東京銀座のヤマハホールでイリーナ・メジューエワのピアノ・リサイタルを聴いてきました。プログラムはオール・シューベルト。すばらしい演奏で、わざわざ上京して聴きに行く価値があった内容でした。帰宅してから、「作曲家の言葉をいかに音に翻訳するか!というところに重心が置かれた演奏。音がない余白の部分が雄弁かつ絶妙。上手く弾こうとするチャラいピアニストが多い中、本物の芸術家の演奏を聴いた感じ。」と,ツイートをしましたが、再度、感想をまとめ直したいと思います。

「シューベルティアーデ」というのはシューベルトとその仲間たちで彼の音楽を演奏したり聴いたりする私的な夜会のこと。私が聴いたメジューエワのリサイタルは、非常にシューベルティアーデ的だったのではないかと考えています。シューベルト限定の演目もよかったし、メジューエワの演奏もすばらしかった。それと客層もよかった。聴くべき人が誰かを知っているかのような雰囲気の初老の男性が6~7割というもの異例。演奏中のノイズもなく、気分よく聴けました。300人という小さなホールは、演奏者と観客の親密性を増す空間にもなっていました。ヤマハ製のピアノもよく調整されていたと思います。演奏者、聴衆、ホール側が三位一体となって、すてきなシューベルティアーデの静かな夜を作っていたと回想することができます。

実は今回のピアノ・リサイタル、私にとって初めてのメジューエワの実演でした。2年ほど前、mixiでお世話になっているGRFさんとベルウッドさんが彼女の演奏を聴くために東京から名古屋まで出向いていったという日記を読んだ時、音楽を聴く確かな耳を持った彼らが聴きたいと思うピアニストなら、私もいつか聴いてみたいと思っていました。また、お二人がすすめてくれた『ロシア・ピアニズムの贈り物』(原田英代著)も読み、私の内でロシア・ピアニズムへの関心が増長していたタイミングでもありました。昨秋、メジューエワのリサイタルが東京であることを知り、すぐにチケットをおさえました。しかも私が偏愛するシューベルト・プログラムとは、なおうれしい。

冒頭、ステージに現れたメジューエワは楽譜を携え、楽譜に正対して「2つのスケルツォ D593」を抑えたテンポで弾きはじめました。私が持っているラドゥ・ルプーのCDとはテンポ感が違っていてまるで別の曲のよう…w。ルプーは快活な演奏に対して、メジューエワは楽譜から拾った音を確かめながら弾いているように見えました。言葉がこぼれてきそうな音。ピアノを弾くメジューエワの口元が動いているように見えたのは、彼女も歌っていたからか…?

次の演目「3つのピアノ曲(即興曲)D946」あたりから、さらに調子がでてきたようです。第1曲変ホ短調の冒頭の低音のうねるようなラプソディー風のフレーズの時は、ピアノの木箱そのものがゴーンと鳴るロシア的な響きでした。この作品は、シューベルトの没後にブラームスが匿名で編集したそうですが、ブラームス好みのメランコリックなハンガリー風のフレーズが印象的に弾かれていたような気がしました。第2曲変ホ長調は一転して、光りと影の対比が印象的な演奏。歌曲のような穏やかなメロディと、上昇感がある低音の不気味がフレーズはシューベルト晩年の独特のもの。メジューエワはシューベルトの楽譜からブラームスの言葉も見えたいたのでしょうか?

休憩に入ってから、来場していたGRFさんと歓談。私が「メジューエワはシューベルトの言葉を楽譜から読み取って、それを音楽に変換しようとする態度がとても誠実な感じしてすばらしい」というと、「でしょ!」というお答えでしたw。

後半は、私が大好きなシューベルトの最後の「ピアノソナタ第21番D960」。昨年1月にこの曲をクリスチャン・ツィメルマンのすばらしい演奏を聴いた時(@水戸芸)、彼は「シューベルトの音楽って、こんなにすばらしい!」と声高からにに大らかに歌い上げた演奏だったと振り返えることができます。一方で今回のメジューエワの演奏は、少人数の親しい友人たちへ「シューベルトって、こんなステキな言葉を残してくれたのよ…」という気持ちで、詩を朗読してくれるような演奏だったように思えました。まさにシューベルティーデの夜会のよう。この曲に漂う孤独感や寂寥感でさえ、どこか満ち足りた気持ちの中の小さな断片のように思えてきます。21番ソナタを内田光子やアファナシェフの実演を聴いた時は、すばらしい(?)絶望感で落ち込みましたが、ツィメルマンやメジューエワの実演からは、希望の兆しのようなニュアンスが発見できました。ひとつひとつの音を丁寧に紡ぐメジューエワの音楽は、とても慈愛に満ちたものだったなぁ。
それともうひとつ、メジューエワの「休符」の読み方。それは、ただの間ではなく、断絶であったり、沈黙であったり、広がりから見える地平だったり。休符がただの余白になっていないところが凄みでしょうか。『ロシアピアニズムの贈り物』で著者の原田英代は、彼女の師メジャーノフの「シューベルトでとくに大切なのは休符だ・彼は音のない箇所でも雄弁だった。」と引用していたことを思い出しました。

こういう演奏会を聴けると、ほんとうに幸せな気持ちになるものですね。

■イリーナ・メジューエワ|ピアノ・リサイタル
■2017年3月17日(金) 19:00~@銀座・ヤマハホール

シューベルト:2つのスケルツォ D593
シューベルト:3つのピアノ曲(即興曲)D946
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
【アンコール】
シューベルト:アレグレット ハ短調 D915 
シューベルト:3つのピアノ曲 D946 第一番変ホ短調より

この絵画は、グフタス・クリムトが描いた「ピアノを弾くシューベルト」。
シューベルティアーデって、こんな雰囲気だったのでしょうか。
この絵画は戦争で焼失したので、実物をみることができませんが、
シューベルトのファンタジーの世界をよく映し出しているような気がします。

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原田英代ピアノ・リサイタル「さすらい」

2017.03.05.Sun.22:38
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3/3の「耳の日」、東京・白寿ホールで原田英代ピアノリサイタルを聴いてきました。
私が原田氏の名を知ったのは、mixiでお世話になっているマイミク・ベルウッドさんの日記で紹介されていた彼女の著作『ロシア・ピアニズムの贈り物』(みすず書房)からでした。私と同様、その日記を読んだマイミク・GRFさんが原田氏のレクチュア・コンサートへ行かれた日記もそれに続くようにUPされ、いっそうロシア・ピアニズムに興味を持ちました。これまでリヒテルやギレリスなどロシア出身のピアニストのCDは聴いてきましたが、私もこの著作を読みたくなり、ネットでポチしました。(趣味の音楽の本としては3,600円はちょっと高いw)リストの系譜につながるロシア・ピアニズムの歴史、名匠メジャーノフの教え、ロシア・ピアニズムの奏法などが記される大著。なかなか深い内容でしたが、今後、音楽を聴いていくには示唆に富んだ内容がいっぱい詰まっていました。そして、いつか原田氏の演奏を聴いてみたいと思っていましたが、やっとその機会が、「耳の日」にやってきました。

会場の白寿ホールに入ると、「やっぱり来てた…」を思わず笑いました。ベルウッドさんとGRFさんがホワイエにいらっしゃったからです。マイミクさんになっていただいたばかりのAionさんと4人でしばし歓談。「ロシア・ピアニズムがアワー・ブームですね。再来週のイリーナ・メジューエワのオール・シューベルトのリサイタルでも会えそう…」と大笑い。

この演奏会は5回シリーズの1回目で、今回の「さすらい」の後、「葛藤」「変容」「統一」「光」と続くそうです。演目はブゾーニ編のシャコンヌ、さすらい人幻想曲、オーベルマンの谷、ラフマニノフのコレルリ変奏曲。

原田氏は著作で、「自分は小柄な方で手もあまり大きくない」と書かれていましたが、恩師メルジャーノフの「(10度が届かないのならば、指を)伸ばせばいい」という言葉に「救われた」という話がありました。確かにステージでみる彼女の手はあまり大きくは見えませんでした。

シャコンヌの演奏がはじまると正直、驚いたのは音量の大きさ。木の箱であるピアノが非常によく鳴っています。もっと抑えて弾いたほうが聞きやすいと思ったくらいです。彼女の指は鍵盤を弾くあるいは叩くという感じではなく、鍵盤に触れるようでした。手首を柔らかく使い、腕だけでなくお腹や背中などの筋肉をつかっていました。これは著作にあった「重量奏法」なんだなと実感しました。ピアノ編曲版のシャコンヌで私が感心したのは、四声のフーガのところでバス・テノール・アルト・ソプラノを巧みにちがった声で弾き分けていて声楽のように聴こえてきたことや、時おりパイプ・オルガンのような響きが感じられた瞬間があったこと。このような響きを感じたのは初めてかも。

シューベルトのさすらい人幻想曲は、超絶技巧満載の難曲です。冒頭の「タータタ」とういリズム感がポリーニらの演奏とちょっと違う感じがしました。私が注目していたのは原田氏がメジャーノフの言葉「シューベルトの演奏で特に大切なのは休符である。彼は音がない箇所でも雄弁だった。」というところをどう弾くかとういことでした。やはり第2楽章の表題のもとになった歌曲「さすらい人」のところが顕著に出ていました。音に言葉を託しながら、余白を十分に意識した歌うような演奏だったと思います。

後半は、リストの「オーベルマンの谷」。後半に入って、原田氏も調子が出てきたようですね。前半に比べて音量を抑えて弾いてくれるようになったようです。弱い音が本当にキレイでした。白寿ホールは300人ぐらいのホールです。私はもっと大きいホールで、弱音が隅々まで行き届くような響きを実感してみたいと思いました。リストの苦悩に満ちた声と天からの差し込む救済の光が、美しい弱音から見てたような気がしました。

ラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲は、「狂気」を意味するイベリア半島の舞曲ラ・フォリアを主題にした音楽です。狂気が姿や形を変えながらさすらう様子を、大聖堂で鳴り響く鐘のような大きな音、弱音で囁かれる言葉のようなものを聴いた気がしました。最後のコーダでは、その狂気がプツッと消えてしまったように終わりました。

アンコールで弾かれたラフマニノフ、シューマン、チャイコフスキーの小さい曲も、ロシア・ピアニズムが凝縮したような演奏でした。GRFさんは、アンコールを最初に弾いてから大曲を弾いた方がよかったかも…と言っていましたが、私もそのような気がしていました。

今回の演目を聴き終えて、「さすらい」というお題目とは、作曲家の苦悩・悲しみ・別離などが人生という「さすらい」を通してどう救われるのか…それらを音に置き換えて演奏しようという意図が感じられましたが、それと同時に原田氏自身のピアノと共に歩んできた「さすらい」の歴史の一端も垣間見れたような気がしました。

終演後は、3人のマイミクさんたち(GRFさん、ベルウッドさん、Aionさん)と一緒にワイン・バーで感想戦でした。私は帰りの高速バスの時間の関係で30分だけ参加。みなさん、耳が鋭いので、たいへん勉強になりました。


■原田英代ピアノリサイタル 第1回 <さすらい>
■2017年3月3日金曜19:00~ @白寿ホール

J.S.バッハ=ブゾーニ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV.1004より “シャコンヌ”
シューベルト:幻想曲「さすらい人幻想曲」 ハ長調 D.760
【休 憩】
リスト:巡礼の年 第1年「スイス」 S.160 より “オーベルマンの谷”
ラフマニノフ:コレルリの主題による変奏曲 op.42
【アンコール】
① ラフマニノフ:プレリュード ト長調op.32-5
② シューマン:「ウィーンの謝肉祭の道化」より 間奏曲 op.26-4 
③ チャイコフスキー:「四季」より6月「舟歌 」

横浜で聴いたパーヴォ・ヤルヴィが振ったマラ6

2017.03.04.Sat.17:53
2/23木曜、横浜へ日帰りで行ってました。横浜在住の友人と中華街でランチを楽しんだ後、午後3時からみなとみらいホールへ向かいました。その音楽会とは「N響横浜スペシャル」と銘打ったもの。パーヴォ・ヤルヴィが武満徹の「弦楽のためのレクイエム(弦レク)」とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」マラ6)を指揮するものです。

私、マーラーの交響曲では3番、6番、9番という3の倍数の番号がなぜか好きなのは、マーラーの気持ちのようなものが音楽になって特によく表現されているような気がするからです。昨秋、そのヤルヴィが振った3番のチケットが完売で聴き逃してしまいましたので、6番はぜひ聴きたいと思い、はるばる横浜へ駆けつけました。私が聴くヤルヴィ&N響のマーラーは2番、8番でこの日が3回目です。

この演奏会は、弦レクとマラ6が休憩なしで続けて演奏されることが告知されていました。だから全部で100分間に5楽章の音楽を聴く感じでしょうか。ヤルヴィがこのような構成にする意図が何なのか聴き取ることがこの音楽会のポイントじゃないかと思いました。

実演に接してみた印象ですが、弦レクは、静謐で空間を浄化するなような美しい響きの音楽になっていました。音楽がマラ6の前奏曲であるかのように終わると、それに続くマラ6の冒頭は、シュスタコーヴィチを思わせる軍隊の行進を思わせる符点のリズムが激しい決然とした音楽として進んでいきました。このプログラムは「何者かの死と戦い」なのでしょうか?2楽章までは、ヤルヴィ独特の引き締まった緊張が持続した演奏でした。まさにリアリズム。その中にあって私は第3楽章が印象に残りました。マラ6の中にあってもっとも穏やかなで牧歌的な楽章というだけでなく、何かエネルギーのようなものを蓄えているような演奏でした。この楽章が変ホ長調で書かれていたこともちょっと気になっていましたが、第4楽章になってハ短調になった瞬間、私はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」と第5番「運命」の平行調の関係を思い返した時、ミケランジェロのダヴィデ像のような屹立した造形がみえた気がしました。マラ6は「悲劇的」と冠されていますが、弦レクを組み合わされることで、「ある英雄の生と死」のようなものをヤルヴィが音楽で描き出したかったのではないかと…。ヤルヴィが演奏するマーラーは、バーンスタインやテンシュテットに見られるような感情や陶酔感を付け加えるような「足し算」のような演奏ではなく、石を掘り出しながら引き締まったものを造形していく「引き算」のイメージを感じました。

もうひとつ注目していたのは第4楽章で、例のハンマーがどのように振り下ろされるかです。版によってちがいはあるようですが、打ち下ろされた回数は2回。打楽器奏者がハンマーを構えた瞬間、息を呑みました。その瞬間、心臓が止まってしまいそうなドキドキ感があるのは毎度のことですw。

マーラー特有の感情のうねりや陶酔感を求めた人にとっては苦手な演奏だったのかもしれませんが、私は弦レクとマラ6を併せた全体をにらみながらの映画のような全体構成を楽しむことができました。演奏が終わったら、滅多にステージにのることがないハンマーの写真を記念に撮ってきました。木箱にはハンマーの跡がいくつも残っていました。

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