「クライスレリアーナ」雑感

2017.12.23.Sat.13:35
今年はロシア系のピアニストのリサイタルを聴くことが多い年でした。11月末に東京・紀尾井ホールでモスクワ音楽院の名教師ネイガウスやザークらに薫陶を受けたグルジア出身のエリソ・ヴィルサラーゼとアトリウム弦楽四重奏団による室内楽を聴いたばかりでしたが、私、ツィッターでエリソが東京音楽大学でミニ・コンサートと公開レッスンをするという情報を得、観覧希望のオファーを出したら招待券を送っていただけました。私、このためだけに上京しましたw。詳細は以下の通りです。

■エリソ・ヴィルサラーゼ ミニ・コンサート&公開レッスン
■2017年12月7日木曜@東京音楽大学・100周年記念ホール
□ミニ・コンサート ピアノ:エリソ・ヴィルサラーゼ
♪ベートーヴェン:ピアノソナタ第25番 ト長調op79
♪シューマン:クライスレリアーナop16
♪(アンコール)シューベルト=リスト:ウィーンの夜会第6番S.427-6
□公開レッスン  
♪シューマン:暁の歌op133 (受講生)藤田真央

エリソのミニ・コンサートの演目は当日に発表されました。彼女はシューマンの演奏の評価が高いので期待が募ります。演奏そのものは素晴らしいものでした。たいへんな難曲ですが、70歳近いエリソは軽々と弾いていました。内声部の声がシューマンのつぶやきのような声がよく聴こえてきました。
一方で、気になったことが2つありました。
ひとつめは、冒頭部分。ちょっとゆっくり目で徐々にエンジンの回転を早めていくような入りでした。スロースターター!一般的な演奏は、演奏前からテンション高めでガツガツと弾きはじめる人が多いからです。ホロヴィッツやアルゲリッチのCDではそんな感じです。ちょっとビックリしました。一方でケンプやルプーは比較的穏やかな入りだったと思います。
ふたつめは、楽曲の最後のところ。いつ終わった分からないような曖昧というか微妙な終わり方。諧謔的なフレーズがだんだんと弱くなるような終わるのですが、アレッ!気がついたら終わっていた…という印象。
最初の入りと、終わり方がなんとも締まらないなぁ…という不満と疑問が残りました。

帰宅して数日後、ネットで注文していたイリーナ・メジューエワ著『ピアノの名曲-聴きどころ弾きどころ』(講談社現代新書)が届き読みはじめた時、エリソのクライスレリアーナの弾き方の疑問が氷解しました。この著作で、イリーナはベートーヴェンやショパンなどのピアノ曲のアナリーゼをしています。シューマンの曲ではクライスレリアーナが選ばれています。一般的にクライスレリアーナは、作家でありすぐれた画家でもあり、また音楽家でもあったE.T.A.ホフマンの書いた音楽評論集の題名から引用されていて、この作品からシューマンが霊感を得て作曲されたと言われています。またシューマンはその中に登場するクライスラーという人物(ホフマンその人)を自分自身、さらに恋人(後の妻)クララの姿にも重ね合わせたとも言われています。

一方でイリーナは「クライスレリアーナ」というタイトルから別のニュアンスがあることを著作で指摘していました。

クラウスkraus=くしゃくしゃの
クライスkreis=円
クライゼンkresen=まわる
シューマンの恋人クララC(K)lara という響きも!

ドイツ人しか分かり得ない意味が含まれているそうです。しかも円や回転という運動性の概念が含まれていて、詩あるいは死に憧れて動き回るイメージもある。そして8曲からなるクライスレリアーナ全体がサイクル形式になっていると説明していました。

それを知って、私はエリソの演奏は、第8曲目の「結」の部分と、曲の冒頭の「起」の部分がつながっていているというイメージだったのではないかと考えるなら、あのような演奏になったことに合点がいくことに気づきました。東洋的な輪廻的のイメージは、クララへの永遠の愛のイメージとも符合します。そう思いながら、私が持っているいくつかのクライスレリアーナを聴き比べてみると非常におもしろかったです。

名盤として有名なホロヴィッツやアルゲリッチのCDは超絶技巧を駆使した非常にピアニスティックでスリリングな演奏です。ケンプやルプーのCD、そしてライブで聴いたエリソの演奏は派手さはないですが、イリーナが書いていたようなサイクル形式を感じさせるものになっているような気がしました。クラシック音楽の演奏は楽譜に忠実に演奏するのが原則ですが、題名からも読み取れるものもあるという発想はいままで私にはありませんでした。そういう点では、エリソの演奏とイリーナの著作はそういう点でなかなか興味深いものがありました。

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