イリーナ・メジューエワが弾くオール・ベートーヴェン・ピアノリサイタル

2017.08.29.Tue.20:24
私、6~8月はちょっと忙し気味で、せっかく聴いた音楽会の感想も書けないままでいました。たとえば原田幸一郎氏らの室内楽@紀尾井ホールやゲルギエフ指揮によるPMFオーケストラ@ミューザ川崎など。数週間経ってしまうと、記憶が薄れていってしまうのですが、何かに関連付けてその時の感想も付記したいと思っています。

先週の土曜日(8/26)は、イリーナ・メジューエワの日本デビュー20年記念リサイタルを聴くためだけに上京しました。これだけは、何か書いておかなければいけません。

■イリーナ・メジューエワ
 日本デビュー20周年記念リサイタル Vol.1  
■2017年8月26日(土)@ 東京文化会館小ホール
■オール・ベートーヴェン・プログラム
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
【休 憩】
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
【アンコール】
ベートーヴェン|6つのバガテル~第5曲 Op.126-5

3月にメジューエワのオール・シューベルト・プログラムのリサイタルを銀座のヤマハ・ホールで聴きましたが、たいへんによかったので、入場時に配られたチラシの中にあった8月のオール・ベートーヴェン・プログラムも聴きたくなりました。まずプログラムがいい。27番はベートーヴェンの中期を締めくくる曲。そして30~32番は最晩年の大傑作。ピアニストとしてある領域へ達していないと人前では弾けないようなプログラムです。

今回の演奏会でも、メジューエワはロシア・ピアニズムの真髄を聴かせてくれました。重量奏法による力強い響き、ホールの隅々まで響きわたる極めて弱い音、そして「語る」かのような歌いまわし。私はこういう演奏が好きです。メジューエワはパッと見は可憐で少女の面影を残す印象ですが、それとは真逆の骨太なフォルテッシモを響かせる度に意表を突かれた感じがしますw。

私は3月のリサイタルでメジューエワのピアノは遠めの方がよいと感じたので、この日はセンターの後方の席を取りました。演奏会の冒頭、まず「オッ!」と思ったのは、第27番の強い打鍵ではじまる短い序奏のところ。ピアノの音がまったく割れず伸びやかに美しく響きわたりました。そういえばプログラムにこの日は特別のピアノで弾かれる旨の記述がありました。1925年製のスタインウェイのCD135という銘器。メジューエワは、この序奏のところ、過去の思い出を振り切るような屹然とした弾き方でした。第2楽章は優美なメロディが印象的に弾かれました。やはり最弱音もとてもよく響きわたっています。私は彼女が紡ぐ弱音が好きです。楽譜から言葉を紡いでいるような弾き方が好きだからです。と同時に、3月に聴いた彼女のシューベルト・プロのリサイタルの時のことを思い出しました。なぜなら2楽章がシューベルトを思わせる切なく流れるような歌い方だからです。というか、後輩シューベルトがベートーヴェン先輩の27番を聴いていたということでしょう。この楽章を聴いた後に続く30番の冒頭もとても軽やかです。音楽の流れをよく考えた構成でしょうか?メジューエワの弾く30番も第2楽章の澄み切った単純なメロディを、「祈る」ように弾いていました。こういうところって、ピアニストの真骨頂だと思っています。

休憩時間にトイレに行った時に気づいたのですが、男性トイレに長い列が出来ていました。しかも初老の方が多い。マーラーやブルックナーの長大な交響曲の演奏会は男性の割合が高いので異例にトイレが混みます。たしかに3月も男性率が高かった。メジューエワはなぜか男性に人気があるようです。ホールを見渡すと6割ぐらい男性客。メジューエワは確かにロシアの妖精のような色白で可憐な女性ですが、彼女の音楽に対する姿勢は、たいへんにストイックです。トイレの列では、mixiでお世話になっているGRFさんに会いました。やっぱり来ていらっしゃった。約束した訳ではないのに、GRFさんとはコンサートでよくお会いします。
 
後半は私が大好きな31番変イ長調からです。序奏が讃美歌のように弾かれた後、清らかで澄んだメロディが続きます。どことなくメジューエワは何かを追想しているかのよう。それは第1楽章や3楽章のフーガが、ただ互いに追いかけあっているだけでないように聴こえたからです。私、この曲はベートーヴェンが自分自身のために書いた曲じゃないかと思わせるようなメジューエワの演奏でした。それと印象的だったのは、右手だけで単純な二声のフーガ風に弾いている時など、片方の休んでいるはずの左手は何かを演じているかのように宙を漂っていました。休符であっても、楽譜の休符の中に何か「言葉」のようなものを読み取っていたのでしょうか?実はこの日ものメジューエワは楽譜を見ながら演奏していました。彼女ほどのピアニストなら暗譜でも弾けるのに、なぜ楽譜を置いているのか?終演後、その件についてGRFさんの意見は、「記憶して弾く時に起こりうる曖昧さや、記憶に頼るとどうしても出てしまう主観を嫌ってメジューエワは楽譜を見るのではないか…」ということでした。私も、楽譜に忠実に弾くという態度には、音楽家としての「良心」を感じます。あの大巨匠スヴァトラフ・リヒテルでさえ、晩年は楽譜を置いてピアノを弾いている姿を30年ぐらい前に私は目撃しました。抜群の記憶力を持つというリヒテルが楽譜を置く理由は、楽譜で求められている音と老化によって実際に聴こえる音が違ってきたためだと青柳いずみ子氏の著作で読んだことがあります。

そして最後は32番ハ短調。私、この曲をいろいろな演奏家で聴いてきましたが、メジューエワの演奏を聴きながら、なぜかリストのロ短調ソナタが聴こえてくるかのような不思議な経験をしました。音と音の間合い、ポツッ、ポツッと叩く間合い、響きの厚さがリストのソナタと似てた。これって、リストもこのベートーヴェンの32番を聴いていた…と私は考えました。この日のメジューエワのベートーヴェンのソナタを振り返ると、ベートーヴェンの音楽からバッハやシューベルトやリストが聴こえてくるというのは、彼女は音楽の時空をタテ糸とヨコ糸でしっかり紡いでいたと言えるのではないでしょうか。

帰路、気づいたのですが、今回のプログラムの4曲は、順に2楽章→3楽章→(休憩)→3楽章→2楽章になっています。休憩を(鏡)とすると前後半が対称形です。これは偶然なのか、メジューエワが意図した構成なのかは分かりませんが、美学のようなものが感じられて嫌いじゃないですw。

この日は蒸し暑かったのですが、はるばる日立からこのリサイタルを聴きに行ってよかったです。私が演奏会をすばらしくするための3要素(①演奏内容、②主催者のホスピタリティ、③聴衆の聴く態度)がそろっていたからです。メジューエワの演奏は言うまでもありません。よく調整されたヴィンテージ・スタインウェイを用意してくれた主催者。またタテ書きによる和風のプログラムも斬新な感じがしました。それと高い集中力で演奏を聴き入っていた聴衆。今年聴いた演奏会ではもっとも感銘を受けました。
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