シューベルティアーデ的だったメジューエワのリサイタル@ヤマハ・ホール

2017.03.24.Fri.16:26
先週3/17金曜の夜、東京銀座のヤマハホールでイリーナ・メジューエワのピアノ・リサイタルを聴いてきました。プログラムはオール・シューベルト。すばらしい演奏で、わざわざ上京して聴きに行く価値があった内容でした。帰宅してから、「作曲家の言葉をいかに音に翻訳するか!というところに重心が置かれた演奏。音がない余白の部分が雄弁かつ絶妙。上手く弾こうとするチャラいピアニストが多い中、本物の芸術家の演奏を聴いた感じ。」と,ツイートをしましたが、再度、感想をまとめ直したいと思います。

「シューベルティアーデ」というのはシューベルトとその仲間たちで彼の音楽を演奏したり聴いたりする私的な夜会のこと。私が聴いたメジューエワのリサイタルは、非常にシューベルティアーデ的だったのではないかと考えています。シューベルト限定の演目もよかったし、メジューエワの演奏もすばらしかった。それと客層もよかった。聴くべき人が誰かを知っているかのような雰囲気の初老の男性が6~7割というもの異例。演奏中のノイズもなく、気分よく聴けました。300人という小さなホールは、演奏者と観客の親密性を増す空間にもなっていました。ヤマハ製のピアノもよく調整されていたと思います。演奏者、聴衆、ホール側が三位一体となって、すてきなシューベルティアーデの静かな夜を作っていたと回想することができます。

実は今回のピアノ・リサイタル、私にとって初めてのメジューエワの実演でした。2年ほど前、mixiでお世話になっているGRFさんとベルウッドさんが彼女の演奏を聴くために東京から名古屋まで出向いていったという日記を読んだ時、音楽を聴く確かな耳を持った彼らが聴きたいと思うピアニストなら、私もいつか聴いてみたいと思っていました。また、お二人がすすめてくれた『ロシア・ピアニズムの贈り物』(原田英代著)も読み、私の内でロシア・ピアニズムへの関心が増長していたタイミングでもありました。昨秋、メジューエワのリサイタルが東京であることを知り、すぐにチケットをおさえました。しかも私が偏愛するシューベルト・プログラムとは、なおうれしい。

冒頭、ステージに現れたメジューエワは楽譜を携え、楽譜に正対して「2つのスケルツォ D593」を抑えたテンポで弾きはじめました。私が持っているラドゥ・ルプーのCDとはテンポ感が違っていてまるで別の曲のよう…w。ルプーは快活な演奏に対して、メジューエワは楽譜から拾った音を確かめながら弾いているように見えました。言葉がこぼれてきそうな音。ピアノを弾くメジューエワの口元が動いているように見えたのは、彼女も歌っていたからか…?

次の演目「3つのピアノ曲(即興曲)D946」あたりから、さらに調子がでてきたようです。第1曲変ホ短調の冒頭の低音のうねるようなラプソディー風のフレーズの時は、ピアノの木箱そのものがゴーンと鳴るロシア的な響きでした。この作品は、シューベルトの没後にブラームスが匿名で編集したそうですが、ブラームス好みのメランコリックなハンガリー風のフレーズが印象的に弾かれていたような気がしました。第2曲変ホ長調は一転して、光りと影の対比が印象的な演奏。歌曲のような穏やかなメロディと、上昇感がある低音の不気味がフレーズはシューベルト晩年の独特のもの。メジューエワはシューベルトの楽譜からブラームスの言葉も見えたいたのでしょうか?

休憩に入ってから、来場していたGRFさんと歓談。私が「メジューエワはシューベルトの言葉を楽譜から読み取って、それを音楽に変換しようとする態度がとても誠実な感じしてすばらしい」というと、「でしょ!」というお答えでしたw。

後半は、私が大好きなシューベルトの最後の「ピアノソナタ第21番D960」。昨年1月にこの曲をクリスチャン・ツィメルマンのすばらしい演奏を聴いた時(@水戸芸)、彼は「シューベルトの音楽って、こんなにすばらしい!」と声高からにに大らかに歌い上げた演奏だったと振り返えることができます。一方で今回のメジューエワの演奏は、少人数の親しい友人たちへ「シューベルトって、こんなステキな言葉を残してくれたのよ…」という気持ちで、詩を朗読してくれるような演奏だったように思えました。まさにシューベルティーデの夜会のよう。この曲に漂う孤独感や寂寥感でさえ、どこか満ち足りた気持ちの中の小さな断片のように思えてきます。21番ソナタを内田光子やアファナシェフの実演を聴いた時は、すばらしい(?)絶望感で落ち込みましたが、ツィメルマンやメジューエワの実演からは、希望の兆しのようなニュアンスが発見できました。ひとつひとつの音を丁寧に紡ぐメジューエワの音楽は、とても慈愛に満ちたものだったなぁ。
それともうひとつ、メジューエワの「休符」の読み方。それは、ただの間ではなく、断絶であったり、沈黙であったり、広がりから見える地平だったり。休符がただの余白になっていないところが凄みでしょうか。『ロシアピアニズムの贈り物』で著者の原田英代は、彼女の師メジャーノフの「シューベルトでとくに大切なのは休符だ・彼は音のない箇所でも雄弁だった。」と引用していたことを思い出しました。

こういう演奏会を聴けると、ほんとうに幸せな気持ちになるものですね。

■イリーナ・メジューエワ|ピアノ・リサイタル
■2017年3月17日(金) 19:00~@銀座・ヤマハホール

シューベルト:2つのスケルツォ D593
シューベルト:3つのピアノ曲(即興曲)D946
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
【アンコール】
シューベルト:アレグレット ハ短調 D915 
シューベルト:3つのピアノ曲 D946 第一番変ホ短調より

この絵画は、グフタス・クリムトが描いた「ピアノを弾くシューベルト」。
シューベルティアーデって、こんな雰囲気だったのでしょうか。
この絵画は戦争で焼失したので、実物をみることができませんが、
シューベルトのファンタジーの世界をよく映し出しているような気がします。

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