チック・コリアと大曽根真が弾くモーツァルトのジャズ風ピアノ協奏曲

2016.07.08.Fri.12:33
5月14日夕刻、私は19時からはじまる鹿島アントラーズのホームゲームを観戦するためにカシマスタジアムへ向かって車を飛ばしていました。18時からFMでN響定期のライブ放送があることを知っていたので、時間になるとカーステレオをCDからラジオに切り替えました。

この日の指揮は尾高忠明。1曲目は武満徹の「波の盆」。美しい旋律と豊穣な響きの音楽。2曲目はモーツァルトの2台のピアノのための協奏曲変ホ長調KV365。3曲目はエルガーの組曲「謎」。私は2曲目に注目していました。ピアノ独奏はなんと!ジャズピアニストで有名なチック・コリアと小曽根真。何かやってくるにちがいないという予想通り、即興性にあふれたただ事ではない演奏だと車の中で思いました。しかし残念ながら第2楽章途中でカシマスタジアム前の駐車場に着いてしまったので、この続きは後日放送されるはずのETV「クラシック音楽館」までお預けとなりました。

そして再聴の機会がきました。
7月3日夜「クラシック音楽館」で5/14のN響定期の模様が放送されました。車中で聴けなかった第3楽章をふくめ、あまりに楽しかったので、何度もこの放送の録画を再生して見てしまいました。

まず、冒頭のオーケストラの序奏のところ、ピアノの音符がない箇所であっても、すでに2人は音を加えながら、ピアノにあいさつをしているかのようにピアノと戯れはじめていました。フリードリヒ・グルダも同じようなことをアーノンクールと共演した23番と26番の協奏曲でやっていましたね。彼らはやっと楽譜通りに弾き始めたと思った矢先、すぐにジャズっぽい即興的な演奏が見え隠れするようになってゆきました。、楽譜にはない音が加わりはじめ、随所に彼らなりの創作が散見。オーケストラとの合わせ方も、出だしや後ノリのところが微妙にずれていて、揺れ…というかスィングしてる。

そしてカデンツァには心底、ビックリぽんでした。

TV画面を見る限り、あらかじめコリア自作のカデンツァの楽譜は用意されていたようですが、そのときの感興に身を任せた演奏でした。2度と同じ演奏はできないはず。モーツァルトのつくった主題をもとにしたアドリブにあふれた超・即興性。内容的にはほとんどジャズ。でも聴いていてぜんぜん不愉快な感じがありません。彼らのカデンツァは、無規則に演奏されるのではなく、モーツァルトの主題の和音進行を尊重しながら、そこから理論的に展開可能なコードに基づいて行われいたと思います。クラシック音楽は原則が楽譜通りに演奏しますが、唯一、カデンツァはソリストの自由が許されているところです。この演奏は、最後の一線をギリギリ守った?、あるいはちょっとオフサイドしたかもしれませんが、「その瞬間」に生まれた超フレッシュな音楽だと思います。会場にいた方はそれを体感できたはず。もしモーツァルトはこの演奏を聴いたら、自分の楽譜通りの演奏じゃなくても「おもしろい!」と喜ぶにちがいないw。

第2楽章は比較的オーソドックスでした。多少、新しい音が加わってはいましたけれどw。もうここまできたら何をやっても許される感じでしょうか。全体的には緩徐楽章ならでは、うつくしいメロディラインをロマンティックに歌いあげた演奏でした。2人の音はよく融け合っていた。
しかし第3楽章は、第1楽章以上に2人は弾けてしましたね。
指揮者は2人に好きなように弾かせるために、インテンポを守りながらの演奏でした。

コリアや小曽根のジャズ化したモーツァルトに関して、伝統的な演奏を好む方々にとっては、不快感や懐疑心をもつのは仕方がないかもしれませんが、私には音楽を聴く楽しさを満喫できました。生で聴きたかったなぁ。

TVの録画を見終わった後、私が持っている唯一のモーツァルトの2台のピアノのための協奏曲のCDを聴いてみました。マレイ・ペライアとラドゥ・ルプーがピアノ独奏、イギリス室内管(指揮者なし)。典雅で美しい演奏。ピアノの音がクリスタルのようなキラキラ感。しかしジャズ風モーツァルトを聴いた後ではちょっと刺激が足りない。

その次に、you_tubeでフリードリヒ・グルダとチック・コリアがピアノ独奏、アーノンクール指揮&ACOの83年録音のテルデック盤の動画を見てみました。(下のものです。)グルダやコリアのキレとアーノンクールの指揮も攻めている感じがします。でもどちらかというと、ややテンポ早めのオーソドックスな演奏という印象。カデンツァはモーツァルト自作のものだと思います。このCDのは廃盤になっていて買えないのが残念。
そう考えると、今回の尾高&N響の演奏はかなり画期的だったと思います。
そのグルダはこんなことを言っていました。

「ジャズの演奏家は音楽からはじめて、
あとでテクニックを得ることもある。
今日のクラシックの音楽教育では、
残念ながらこれがまったく反対だ。」と。

クラシック音楽の王道を歩んでいたグルダが、楽譜から作曲家の声を聞き取るだけではなく、心の中から出てくる「音楽」を求めてジャズも弾くようになった理由がよく分かる言葉です。今回のN響定期できかせてもらったモーツァルトも、2人のジャズピアニストがグルダの言葉を実践してみせてくれたようなものだったと思います。以前、ツィッターで話題になった「クラシック音楽は新曲がないからつまらない」という言葉へは、このN響定期における演奏は十分に反論になりますね。

https://www.youtube.com/watch?v=1lUZhMHpOPM




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