編集に難アリの映画「海難1890」

2015.12.21.Mon.23:05
先週、最寄りのシネコンで
映画「海難1890」を見てきました。
ひとことで言えば、日本とトルコの友情を描いた映画です。

1890年、和歌山県串本町沖。
オスマン・トルコの親善使節団を乗せた
軍艦エルトゥールル号が座礁して大破、
海に投げ出された乗組員500名以上が暴風雨で命を落とす。
そうした過酷な状況下で、
地元住民が懸命の救援活動に乗り出す。
その95年後の1985年、イラン・イラク戦争中、
日本政府は危機的状況を理由に在イラン日本人の救出を断念。
そんな中、トルコ政府は日本人のために飛行機を手配し、
日本人の救出に尽力。
2つの内容が前半・後半で描かれています。

私、1993年に2週間ほどトルコを外遊したことがあります。
この時、エルトゥールル号の事故のことを
私、全く知りませんでしたが、
トルコでは教科書にのるぐらい
誰でも知っている話だったようです。
トルコの人たちがとても親日的でフレンドリーだった理由は
こういう歴史があったからなのでしょう。

映画を見る前から、内容が分かっていた映画なので、
ストーリーを追うよりも編集や演出に注目しながらみました。

編集についてはかなり残念でした。
映画は2部構成で、
前半が和歌山沖のトルコのエルトゥールル号の事故、
後半がイランのトルコ航空の日本人救出劇。
誰が見ても分かりやすい構成です。
しかし、悪く言うと前後半の事件が
別々の事件のような描き方です。
教科書的でおもしろみを薄めてしまった編集でした。

1890年の海難事故と、1985年の救出事件が
クロスオーバーするように編集した方が
もっと劇的な映画になったと思います。
撮影だけでなく、編集は映画づくりの重要な要素です。
もったいないと思いました。

私が偏愛する作家・福永武彦が書いた「海市」という小説は、
過去と現在のさまざまなエピソードが
バッハの平均律のフーガのように
追いかけ合い、重なりあって
最後になって全体像が分かる構成になっていました。

(野村芳太郎監督の映画「砂の器」も
現在と過去への遡行を上手に編集して
すばらしい作品に仕立てていましたよね。)

それと和歌山の遊郭や遊女の大活躍シーン、
トルコ軍艦の上官と下官の奇妙な友情とか全く無駄。
このような演出が全体の緊張感を削いでしまっていて、
何をしたいのかピントが合っていない感じでした。
人物の描き方も表面的でテレビ的。

映画のネタとしてはイイ素材なのに、
それを活かしきれない映画だと思いました。



下の画像は
カッパドキアでみたバベルの塔のような街の景観。
当時はデジカメはありません。
カメラやレンズが重かったな。
額装した写真をさらにデジカメで撮りました。

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