三人のピアニストで聴いたモーツァルトの幻想曲ニ短調

2014.12.04.Thu.11:25
今秋、私が聴きに行った音楽会で
偶然にも3人のピアニストが同じ曲を弾きました。
それはモーツァルト作曲の幻想曲ニ短調K397。
三者三様で、弾き方のちがいがなかなかおもしろいと思いました。

①チョ・ソンジン(10/27東京・浜離宮ホール)
②イェルク・デームズ(11/24日立・シビックセンター音楽ホール)
③萩原麻未(11/30つくば・ノバホール)

三者のちがいをどう表現したらよいか考えてみましたが、
投手が投げるボールの球種にたとえてみようと思います。

①チョ・ソンジンは、全体がガラス細工のような繊細な造形感で、
 聴き手の胸にスッーと切れ込んでくるような感じなので、
 切れ味するどいシュート。

②デームズは、ゆったりとした重厚感で
 いかにもドイツ音楽の重鎮という様相。
 キャッチャー・ミットにズドーンと納まる豪速球

③萩原麻未は、魅力的なゆらぎ感、柔らかさ、ふくらみの感じが
 なんともとらえどころが容易ではないと思ったので、
 変化の予測がつかないナックル・ボール。
 幻想曲だから、このような自由な演奏もアリだと思いました。

そういうふうに考えていくと、番外として
④ 内田光子(2011年11月水戸芸術館)
を挙げてみたいと思いました。
震災の年の秋に聴いた内田光子の幻想曲ニ短調は、
フォーク・ボールみたいだったと私は今、私は感じています。

この曲はもともと未完であったため、
最後の10小節が何者かによって補筆された楽譜が一般的とされています。
上記の①~③のピアニストもそれに基づいた演奏をしていました。
一方で内田光子の場合、
誰が補筆したか分からない楽譜を弾くことを避け、
その代わりに未完箇所から冒頭の箇所に戻ってニ短調のアルペジオで終わる
という解釈で演奏をしていたと記憶しています。
これはハ短調の幻想曲K475のモーツァルト自身の例に基づいたものでしょうね。
演奏の最後のところで、
大胆な解釈で演奏をするようなところは、
ストレートと思わせておいて
打者の手元で大きく落ちるフォークボールに似ていた
と思いました。
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コメント
今晩わ

内田光子様は確かにCDでもそのように演奏されています。で、私も弾いてみたくなり、そのとおりに弾いたら(しかもコンサート本番でイキナリ…笑)先生に烈火の如く怒られてしまいました。
「内田光子が弾くからよいのであってアナタは弾いたら駄目」だそうです。

もう一つ
菊地洋子さんはこの曲に続いて間を開けずにロンドd-durを演奏しました。この幻想曲とロンドが、まるで一つの曲として成り立っているような印象を受けました。
菊池洋子さん
ゲルバー夫人さん

幻想曲ニ短調を内田版で弾いたのですか。
すばらしい。
プログラムにはモーツァルト作曲・内田光子編と
記されればよかったですね。

幻想曲ニ短調→ロンドニ長調を
イングリッド・ヘブラーの演奏で
聴いてみました。
幻想曲はニ長調で終わるので
ロンドニ長調と並べると
流れが悪くないですね。
エビネンコさんにお尋ねします。
内田バージョンを内田様以外の人が断りなく弾いた場合、著作権に違反するのでしょうか…?
著作権
ゲルバー夫人さん

著作権の法律に関して
詳しくないので
よく分かりません。
あまり問題ではない気がしますが…。
内田さん流の幻想曲を弾く場合でも
自分流にすこし変えて
ゲルバー夫人版にしたら
いかがでしょうか?
実は…
次のような版もあります


仲道郁代版
フジ子ヘミング版
宮沢明子版
上原彩子版


退院したらトライしようと思います。
異なる版について
ゲルバー夫人さん

4人のピアニストの版、
どう異なるのか
ご教示おねがいします。
仲道さん版:自己陶酔して口をパクパクさせながら弾く

フジ子さん版:間違えても堂々と弾き直す、あるいは最後に飛んで終了する

宮沢さん版:ミニスカートにピンヒール、顔に☆な・のシールを貼って弾く

上原さん版:時々立ち上がって弾く


四名の演奏家の方々、申し訳ありません…真似させていただきました…

4人のピアニストの版
ゲルバー夫人さん

4人のピアニストの版では
全然聴きたいと思いません(笑)

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