「ショパン嫌い」の私が聴いた河村尚子のショパン

2014.11.12.Wed.23:55
■河村尚子ショパン・プロジェクト#1
■第1回「バラードとノクターンを中心に」
■2014年11月8日(土)14時@水戸芸術館

♪ノクターン ヘ長調 作品15の1
♪バラード 第2番 ヘ長調 作品38
♪17のポーランドの歌 作品74より〈私のいとしい人〉〈乙女の願い〉(リスト編)
♪ノクターン 変イ長調 作品32の2
♪バラード 第1番 ト短調 作品23
【休 憩】
♪ノクターン 変ホ長調 作品55の2
♪バラード 第3番 変イ長調 作品47
♪子守歌 変ニ長調 作品57
♪ノクターン ヘ短調 作品55の1
♪バラード 第4番 ヘ短調 作品52
【アンコール】
♪ノクターン 変ニ長調 op.27-2
♪ノクターン 嬰ハ短調(遺作)

私の場合、よかった!と思えた演奏会の感想はすぐにUPできるのですが、
良かった!と思えなかった演奏会はどうしても遅筆になります。
(10/3のハインツ・ホリガー指揮の水戸室内管弦楽団の定期は
超ガッカリだったので演奏内容の感想を書く気力が起きません)
先週末、水戸芸樹館で聴いた河村尚子氏のオール・ショパンの
ピアノ・リサイタルも残念ながら、私はイイね!と思えなかった。

その理由を考えてみましたが、以下のような感じでしょうか。
①直近で聴いた小菅優、チョ・ソンジン各氏と比較したもの足りなさ
②練られたプログラムであったけど、あまり演奏効果をあげていなかったこと
③気持ち(知性)と感情(肉体)がアンバランスのような気がしたこと

①の関して
ここ2週間の間に、私は3人の若いピアニストの演奏を聴きました。
10/27は、浜離宮朝日ホールでチョ・ソンジンのリサイタル。
10/31と11/2は水戸芸で新ダヴィッド同盟の室内楽で小菅優のピアノ演奏。
そして11/8は同じく水戸芸で河村尚子のピアノ・リサイタル。

なにか道を求めてピアノ道を邁進するライジング・スターのようなソンジン、
気が合う仲間たちと音楽ができる喜びにあふれ
一方でベートーヴェン・チクルスに取り組みながら
音楽家として突き抜けた感じさえ感じられる最近の小菅優らにくらべ
河村氏の演奏にはなんとなく停滞感を感じました。

彼女のリサイタルは3度目だったのですが、
はじめて聴いた5年前のリサイタルでは、
演奏から文学的匂いや音から芳香が感じられ、
かつ感情の表現も繊細で、すばらしいなと思ったと同時に、
「一期一会」というギリギリの緊張感があったのですが、
残念ながら今回は感じることができませんでした。

②について
河村氏のリサイタルはいつもよく練られていると思っていました。
今回も「バラードとノクターンを中心に」といコンセプトで
プログラムが発表された時は、おもしろい!とかもと思いました。
4つのバラードの前にノクターンを組み合わされることで、
前・後半ともに

(ノクターン&バラード)→間奏曲→(ノクターン&バラード)

というシンメトリーな構成になっていることが分かりました。
前半と後半の最後にバラード1番、4番を配したのも盛り上がりも考慮。
ご本人は師のアドバイスを取り入れながら、
調性・曲想・作曲時期などから組み合わせを決めた〜と語っていました。
(ノクターン&バラード)という「まとまり」は、
バッハの平均律クラヴィーアの「前奏曲&フーガ」を意識したと私は推察しています。
それは「24の前奏曲」も平均律を意識したのと似ている。
しかしプログラムの構築性ほどのインパクトが演奏から感じられませんでした。

ノクターンとバラードのつなぎの部分においては
それらの緊密性を非常なる気配りで演奏されていました。
しかし演奏が終わってみると、
それらがつくりだした全体像は
4つの短編小説のアンソロジーのようでした。
ディテールの完成度・完結性が強いほど、
4つのまとまりが醸し出す全体像の設計が何であったのか
私はよく分かりませんでした。

たとえば4つのまとまりが、
交響曲の4つの楽章のような結束性があったのなら
新しいショパン像のようなものが感じられたかもしれません。
(もともと4つのバラードは別々の作られたものですが、
意欲を感じるプログラム構成から、
部分と全体を見通した演奏になるのではないかと期待しすぎた
私が悪いのかもしれませんけどねw)

③について
私がいい演奏を聴いているなぁ〜と思う時って、
聴衆は熱く聴いている一方で、演奏者は熱く冷静に仕事している時です。
演奏者が理性を通り越して、感情的にテンパッていると
全体的にギクシャクしてバランスが悪く感じられます。
小澤征爾氏が指揮する水戸室内管弦楽団の演奏はそれに近いものがあります。
1月に聴いたベト4,5月に聴いたベト7がまさにそうでした。
楽団員たちは体力的に万全じゃない小澤氏のオーラを感じて
演奏が気負ってしまう傾向にあります。
今回の河村氏も、理由は定かではありませんが、
それに近いものを私は感じてしまいました。

ショパンの音楽って、
彼自身の心を隠すようなところがあると思っています。
河村氏の演奏は、それを無理に引き出そうという
気負いが過多だったように感じました。
ショパンはベートーベンやシューマンとはちょっとちがいます。
そのわりには、内声の音があまり響いてこなかったなぁ。
ベースとなるべき左手の音がもう少しでていた方がいいかも。
河村氏、演奏すべてにおいて全力疾走している感じで、全体的に濃い演奏。
力演でしたが、私には快演には聴こえなかった。
ショパンの音楽はサロンのためにつくられた音楽なのだから
もう少し演奏に緩急があって、ゆったりと聴かせてくれてもよかった。
ショパンの音楽って、そんなものじゃないでしょうか。

ただ最後に演奏された
バラード4番は素晴らしいと思いました。
悠然としながら物語を紡いでゆき、
彫琢を極めたような演奏でした。

これまで、水戸芸術館における複数回におよぶピアノチクルスでは
野平一郎氏のモーツァルトのソナタ全曲演奏、
児玉桃氏のドビュッシーの主要ピアノ曲を他の作曲家と比較しながら演奏会など
レクチュア・スタイルで行われてきました。
なかなか聴けない演奏者の詳細なアナリーゼはおもしろかった。

しかし今回のリサイタルで河村さんが話されたことは
今回のプログラムを考えた師との経緯や、
2ヶ月前に女児を出産したという私的なことで
音楽の内容そのものとは遠いと感じられる内容のものでした。
音楽的な興味という点では、正直、残念でした。

私にとってショパンは苦手な作曲家のひとりです。
河村氏がショパンのシリーズを弾くときいた時、
これほどまでに感情の濃い演奏がしたいのなら、
シューマンの方が向いているのではないかと思いました。
あと3回、このチクルスは続きますが、
今後、聴きにいくかどうかはなんとも言えません。

■演奏会の評価(5点満点)
1|演奏内容の満足度:3.5(上記の通り)
2|ホールのホスピタリティ:2.5(携帯電波抑制装置がない・満席にする努力欠如)
3|聴衆の態度・集中度:3.0(タイミングを外した拍手があった)
4|総合的な感銘度:3.0
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