ドンドンはまるハイドン

2014.10.23.Thu.23:53
以前、読んだ
向田邦子さんの「無名仮名名人名簿」という著作の中に
“ハイドン”というエッセイがありました。
一部、引用します。



これは別の友人だが、
ハイドンと聞くとどうしても
フッと笑ってしまうというのがいる。
頭では有名な作曲家であると判っているし、
「おもちゃの交響楽」のレコードも持っているのだが、
名前を聞くとまずおかしくなる。
筒っぽの木綿の着物を裾短かに着て、
前掛けをかけているような気がして仕方がないというのである。
ハイドン、というより「ハイどん」なのである。
花登箆氏のドラマに出てくる丁稚どんである。
顔立ちは別に大村箆に似ているというほどでもないが、
「ハイどん」と呼ぶと、
「へーい」
実にいい返事が返ってくるような気がするというのである。
この友人は船場の商家の娘だが、
ハイドン作曲の「驚愕」ではないが、
地下のハイドンもさぞびっくりであろう。



このエッセイではハイドンの名前そのものがオチになっていますが、
ハイドンの音楽にもユーモアと人を楽しませる工夫が満載です。
たとえば交響曲第90番の第4楽章。
長い休止がはさまれていて、聴衆は終わったと思って拍手をしてしまう。
しかし曲はまだ終わっていません。
ちょうどチャイコフスキーの悲愴交響曲の第3楽章が終わった時、
まだ第4楽章が続くのに、
終わったと思って拍手をしてしまう人が多いのに似ていますね。
ハイドンの場合、それを意図的にねらっているのです。

私はハイドンをえらいと思うのは、
交響曲や弦楽四重奏曲という形式をつくったというだけでなく、
英国へ渡ってから、一般市民に音楽を聴く場をつくったということです。
教会や支配層のものだった音楽を「民主化」したと言えます。

最近、ハイドンの音楽がかなりマイブームになっています。
ドンドン、ハイドンにハマってきています。
実はこれまで私はハイドンのよい聴き手とは言えませんでした。

しかしながら、先日、ある演奏会で交響曲第103番を聴くので、
ジョージ・セル、シギスヴァルト・クイケン、マルク・ミンコフスキらの
ザロモンセットと呼ばれる後期の交響曲群を集中的に聴いているうちに
これこそ素形の音楽だと思えるようになってきました。
バランスがよく、ユーモアもある。そして秩序感。シンプルなのに豊か。
1+1=2ではなく、3にも4にもなる。
メロディラインとポリフォニーが相乗的に響きあう感じがします。
転調も絶妙。

そして、肝心なのは
聴いていると気持ちが整う感じがすること。
朝の音楽に最適じゃないでしょうか。
気分がリフレッシュできると思いませんか!
この歳になって、やっとハイドンが好きになってきた。

最近、入ったmixiのコミュニティで、
ある方がおもしろいことを書いていました。



私はベートーヴェンは油彩、モーツァルトは水彩、
そしてハイドンは鉛筆デッサンだと感じています。
油彩→水彩→デッサンの順で、
「ごまかし」がきかなくなります。



「ハイドンがデッサンのよう~」というのはなかなかステキな表現です。
私も石膏デッサンを学生の時にしたことがありますが、なかなか難しいのです。
構図、対象物の軸線、陰影による立体表現、余白に奥行き感を出すこと。
それを鉛筆や木炭だけで行うのはたいへんなのです。
ミケランジェロ、レオナルド、ピカソのようなデッサンは奇跡としか言い様がない。
だからハイドンの演奏も、
ピカソのレベルの演奏じゃないとイイねと思えないかも~w

そういえば漫画『のだめカンタービレ』で
指揮者を目指す学生・千秋真一がコンクールの一次予選で指揮する曲に
ハイドンの交響曲第104番を引き当てて
「ハイドンで試されるなんて光栄だ…」とつぶやいていたっけ。

私は今日、「ポチ買いの病」が発症して、
バーンスタインのパリ・セット、ザラモン・セット、
ショルティのザラモン・セットをネット発注してしまった。
完治不能の病を、ハイドンの音楽で治します。

ちなみに日中、テレサ・ベルガンサが歌う
ハイドンのアリア集(エラート盤)を
ずっとアトリエに流していました。
you_tubeに同じ音源があったので貼っておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=wSD2SoVjgxs


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