アーノンクールのモーツァルト後期3大交響曲

2014.09.26.Fri.14:51
9月20日の20時55分、
私はカシマスタジアムでアントラーズの勝利を見届けた後、
駐車場までダッシュし、帰路に就きました。
カーラジオを点けると、
片山杜秀氏の「クラシックの迷宮」がはじまる21時。
その日の放送は、
「私の試聴室〜アーノンクールの モーツァルト3大交響曲」でした。

ニコラウス・アーノンクールは
手兵のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを指揮して
モーツァルト作曲の交響曲第39、40、41番の新譜を出したばかり。
私はまだこのCDを買っていませんでしたが、
この放送、興味深く、楽しく聴きました。
60分の放送なので、全曲放送は無理。
部分的に興味深いところだけが流されました。

おもしろかったのは、このCDでアーノンクールは、
3つの交響曲は、独立した3つの音楽とするのでなく、
3つがセットになって、器楽によるドラマになっているという解釈です。
言葉がないオラトリオまたはオペラのようになっていて
それぞれの3曲が第1部〜3部、または第1〜3幕になっている。

アーノンクールは
第39番では、ある人の順風満帆の人生が行き詰まり、
第40番では、悲しみのどん底に堕ち、走り、逃げ、破壊、
そして第41番では、復活し大団円になるという。

説明①
39番の第一楽章には序奏があるのに、
40、41番に序奏がないのは
物語の続きだからで、
ドラマのはじまりの39番だけにあればよい。
40,41番はつづきだから不要なのが自然。

説明②
39番の第四楽章はひとつの主題でしか書かれていない異例さ。
ひとつの主題の変奏と繰り返しになっていて別の主題との対比がない。
これは、人生の苦難に行き当たった人が2枚めのカードが尽きたことを意味している。
そして40番になると、暗い世界をさまよい出す。
だから39番と40番は連続して聴くべきだとアーノンクールは主張。
CDの録音でもそうなっているそうです。

説明③
40番の最終楽章はまさに「ドン・ジョバンニ」の終幕と瓜ふたつ。
アーノンクールは展開部の休符を大げさにすることで
破壊・解体・バラバラ・ボコボコの感じを出しています。

説明④
40番の最後の地獄へ堕ちそうになるフーガには
41番の立ち直りと勝利のフーガが対比される。

なるほどなかなかおもしろい考えだし、
似たようなことを言っていた方もいた気がします。
アーノンクールの新譜のジャケットには
なんと「器楽によるオラトリオ instrumental oratorium」
とも書いてあります。

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個人的には、
39番と40番は繋がりそうな気がしますが、
それらと41番をつなげるのは
ちょっと苦しい気がします。

39番の終楽章が変ホ長調で、40番の冒頭がト短調なので、
属調平行調というつながりで捉えると悪くないと思います。
39〜41番がそれぞれ第1〜3部あるいは第1〜3幕と捉えるよりも
39・40番が第1部、41番が第2部として、
あわせてそれぞれが「死」と「再生」と考えてたほうが
私にはしっくりときます〜w。
まぁ、どっちでもいいけど。

アーノンクールが3大交響曲を録音したのは3回目。
1回目は80年代のコンセルトヘボう。
2回目は90年代ののヨーロッパ室内管。
そして今回がウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとの古楽器の録音。

車中のラジオを聴いた限りでは
あいかわらず超個性的な演奏だと思いました。
音楽としてはおもしろいのですが、
美しく調和している感じがしません。

ちょうど冷やし過ぎた辛口の白ワインのようで、
芳香があまり感じられない時に似ている印象を持ちました。

それと古楽器特有のガチャガカした音と
アーノンクールの独特のアゴーギク、
私は苦手なのです。
でもアーノンクールの意図である「破壊と死、そして再生」は
片山氏の解説をもとに感じることができました。
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