ボストリッジのテノール・リサイタルに備えて

2014.04.11.Fri.13:15
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来週4/17、水戸芸術館で
イアン・ボストリッジのテノール・リサイタルを聴きます。
彼が水戸で歌うのは7年半ぶり。

前回は水戸室内管弦楽団の定期演奏会で、
ブリテンの〈セレナード〉を歌いました。
準・メルクルの指揮、ラデク・バボラークがホルン独奏という
豪華な共演でした。

今回はマーラーとブリテンの歌曲が中心になります。
マーラーの作品は、
歌曲集〈若き日の歌〉の2曲、
歌曲集〈子どもの不思議な角笛〉の3曲、
歌曲集〈さすらう若人の歌〉の全曲。
ブリンテンの作品は、
歌曲集〈ジョン・ダンの神聖なソネット〉 全曲
民謡編曲〈イギリス諸島〉から3曲。

私、手持ちのCDで予習をはじめました。
歌詞の内容が分かっているとより楽しめるからです。

最近、アトリエでは室内楽、ピアノ、歌曲など
規模が小さなクラシック音楽ばかり
流していることが多いでしょうか…。

こういう時、マーラーの歌曲をほぼ網羅した
バリトン歌手のディートリヒ・フィッシャー=ディスカウと
ダニエル・バレンボイムがピアノを弾くBOX-CDが役に立ちます。
しかし、ブリテンの歌曲のCDは1枚しかなく、
演目とは異なるものです。でもyou_tubeがある(^_^)v

マーラーの演目をプログラムの通りに聴いてみると
ボストリッジがある意図で、曲目を選び配列しているような気がします。
そのあたりは、当日の演奏で検証したいと思います。

マーラーの歌曲の美しい旋律は、
交響曲に多く転用されているので、
歌曲を聴けば、それがすぐに確認できます。
やはりマーラーの原点は「歌」ですね。

先日、石橋メモリアルで聴いたコルンゴルトに特化した音楽会でも、
自身の歌曲を室内楽などに転用している例が多く演奏されました。
マーラーやコルンゴルトらに見られる
歌曲の旋律を転用する理由って?

私の仮説は、
自分のつくったメロディを
聴いた人に覚えてほしいからじゃないか~と思います。
そう考えたのは
以前、作曲家の池辺晋一郎氏が
作曲家がソナタ形式を用いる理由の仮説にも似ているかも~(笑)
あるメロディ(主題)を、
提示→展開→再現という形式の中で何度も使うことで
聴いた人に覚えてほしいからだと池辺氏は語っていました。

私は、マーラーの歌曲をバリトンで聴くことが多いので
ボストリッジのような透明感がある声で歌うと
どんな感じなのか楽しみです。

最初に歌われる歌曲集〈若き日の歌〉の「春の朝」のような
さわやかな作品はボストリッジの声質は合うかもしれませんね。
たしかに、この季節にピッタリだ!
「春の朝」は若い時の作品なので、
マーラー特有の濃厚さがあまりない。
私、この曲はシューベルトを意識していると思います。
「菩提樹」が揺れているような感じが歌詞だけでなく音楽にも出てくるし、
ピアノの音で雲雀の鳴き声も出している。

フィッシャー=ディスカウとバーンスタインという
珍しい組み合わせの「春の朝」がyou_tubeにあったので貼ります。



もともと爽やかな朝についての歌曲、
私はかなり好きな方です。
だいぶ前に
フーゴー・ヴォルフの「朝露」が気に入って
you_tubeに投稿したことさえあります。
これはエリザベート・シュヴァルツコップが歌っています。
彼女が歌うとかなり高貴に聴こえますね。
詞はあのミケランジェロとされていますが、真相は「?」

若い時のヴォルフやマーラーが作曲した「朝」の歌って、
自分の色はあまり出ていないけれど、
なにものにも染まっていない
純粋で飾らない潔癖さがありますね。



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