戦争遺産「筑波海軍航空隊」

2014.03.08.Sat.10:07


私が住む茨城県には
太平洋戦争における「戦争遺産」といえる遺構や記念館があります。
予科練で有名な阿見町の「霞ヶ浦海軍航空隊」や「土浦海軍航空隊」は
その代表格でしょうか。

最近、笠間市にある
「筑波海軍航空隊」の跡地を見てきました。
県立こころ医療センターの敷地内に
筑波海軍航空隊の司令部庁舎、滑走路などが
ほぼ当時のまま保存されていました。
鉄筋コンクリート造・2階建てで
当時としてはモダンな建物だったと思います。

筑波海軍航空隊は昭和13年に編成され、
終戦までの間に1500人以上が操縦訓練を受けたそうです。
昭和20年には戦況悪化により「神風特攻隊筑波隊」が発足。
学生ら約70人の尊い命が特攻によって失われました。

数年前、小説『永遠のゼロ』(百田尚樹著)を読んだ時、
はじめて筑波海軍航空隊の存在を知りましたが、
映画『永遠のゼロ』の公開に合わせて、
期間限定でこの旧司令部庁舎公開されています。
映画のロケでもこの建物が使われたらしいです。

私のような戦争を知らない世代でも、
散華した特攻隊員の遺書を読むと、
言葉にならない感情がこみ上げてきます。

遺書にある「愛国」とか「忠義」という勇ましい言葉ではなく、
その行間を読まなければなりません。
特攻隊員の本心はそこのあると思うからです。
検閲があるので、「死にたくない」とは書けないからです。
今日のような平和になった日本に住む私たちは、
戦争で犠牲になった人々のことを忘れてはいけない
という気持ちを強くしました。



富士山と零戦の写真が展示されていました。
この零戦の搭乗員の方はどんな思いで
富士山を見ていたのでしょうか?
先日、旅客機から見えた富士山を
嬉々として眺めていた私とは
まったくちがう感情だったと想像できます。



なぜか戦艦「金剛」の写真も展示されていました。
それをみて、私の父方の祖父のことを思い出しました。
明治生まれの祖父がこの軍艦に乗っていたことを
生前の父からきいたことがあるからです。
祖父は私が6歳のころ亡くなってしまって
詳しい話をきくことができなかったのが残念ですが、
「おじいちゃんがこんな軍艦に乗っていたのか~」
と感慨深く写真を見入りました。
AUTHOR: naru
EMAIL: naru@ts-garden.com
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IP: 125.192.178.147
DATE: 03/08/2014 12:33:05
実家の近くに一直線のコンクリート製道路があり、もともとは谷田部航空隊の滑走路でした。立派な防空壕は飛行機の格納庫、近くの病院は元海軍病院でお医者さんも元軍医さん。滑走路近くに住んでいたのは満州からの引揚者でした。学園都市の整備にともない、面影はなくなってしまいましたが。
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