「佐村河内・ゴーストライター事件」雑感

2014.02.11.Tue.22:57
先週から、ソチ冬季五輪、都知事選挙とともに
佐村河内 守氏の「ゴーストライター事件」が大きく報道されています。
クラシック音楽好きの私にとっては耳を洗いたくなる事件です。
この影響でクラシック音楽ファンが減らないことを祈ります。

彼の名前をはじめて知ったのは
数年前の東京・渋谷の大型レコード店。
クラシック音楽フロアの売れ筋コーナーに彼のCDがありました。
「佐村河内守」という名前をはじめてみた時、
“さむら・かわちのかみ”と読んでしまいました。
彼のこと、全然、知らなかったからです。
知人に“さむらごうちまもる~と読むの!”と
教えられてしまったほど無知でした(笑)

空前の大ヒットした漫画「のだめ♪カンタービレ」の登場人物に
大河内 守という指揮科の風変わりな学生がいました。
彼の名前は、佐村河内守氏の名前に由来するのかな~と、
今、邪推してみました。

実は私、佐村河内 守氏が作曲したとされていた音楽を
ほとんど聴いたことがありません。
フィギュアスケートの高橋大輔選手の演技の時、
テレビ音声で少し聴いたことがあるだけなのです。
また彼を特集したテレビ番組も見たことがありません。
だから、彼が作曲したと思われていた作品について
語ることはできません。

なぜ聴く気にならなかったかというと、
佐村河内氏がまとう「全聾」、「現代のベートーヴェン」、「原爆二世」
という枕詞になんとも気持ち悪く、
当分の間、彼の音楽とは距離をおきたいと考えていたからです。
すこし経ってから、聴いてみようかな~と思っていた矢先、
このような事件が明らかになりました。

ゴーストライターとされる新垣氏が作曲した
作品そのものには罪はないと思いますが、
人々を欺いていたのはよくないですね。
佐村河内氏の作品だと思って感動した聴衆、
佐村河内氏の作品を評価してしまった音楽家や批評家は
きっと裏切られた思いでしょう。
でも新垣氏が作曲したとされる音楽を聴いて
素直に感動したなら、それを全く恥じることはないと思います。

私がいちばん嫌っているのは、マスメディアによる
「身体的ハンディキャップを克服~」、「数奇な人生」、
「天才音楽少年」、「美貌」、「巨匠〇〇の最後の弟子」など
さまざまな形容詞が音楽家を煽ることです。
音楽的実力以上に名前がひとり歩きして
人気が出てしまう傾向は由々しきことです。
テレビ、雑誌、新聞などで取上げられると知名度は上がり、
当然のように音楽会のチケットやCDはよく売れるようになります。
仕事が激増することで、
ヴァン・クライバーンのように才能を潰されてしまい音楽家もいました。
佐村河内氏の事件の「天国と地獄」も、
マスメディアが踊った結果でしょう。

おそらく多くの方が、音楽家を形容する枕詞やキャッチコピーをきっかけとして
彼らの音楽を聴こうとするのは自然なことだと思います。
私だって、「〇〇コンクールの優勝者」とか「レコ芸で特選になった〇〇」
という形容があると心が動くことがあります。

しかしながら私はできるだけ自分の耳や頭でイイと判断した音楽家の演奏を
選別して聴きていきたいと思っています。
自分の音楽経験や信頼している批評家や知人の感想などが
その決め手になることは言うまでもありません。
自分で聴くものは、マスメディアに左右されず、
自分の頭で考えて聴くものを決めたいものです。

先週、東京で聴いてきたグルジア出身で
11年ぶりの来日したエリソ・ヴィルサラーゼという
70を越えた老ピアニストのリサイタルを聴いてきました。
「カレーのCMに出ていた有名ピアニスト」や
「国際コンクールで優勝した全盲のピアニスト」に比べたら
ヴィルサラーゼは「天と地の差」と言ってよいぐらい無名です。

私が彼女の演奏会に行ってみようと思ったのは、
・プログラム構成が意欲的だったこと。
・生前のスヴァトラフ・リヒテルが彼女の演奏を評価していたこと。
・ロシア楽壇の重鎮ネイガウスの門下であること。
・ボリス・ベレゾフスキーの師匠であること。
・you tubeの動画で彼女の演奏を聴いて実演も聴きたいと思ったこと
などが、挙げられます。
結果的にはすばらしいリサイタルで大感激でした。

「佐村河内・ゴーストライター事件」は残念ですが、
自分が聴きたいと思ったものを聴いて
素直に感動できればそれでよいと思います。

「罪を憎んで人を憎まず」といいますが、
この事件で私が感じたことは
「罪を憎んで音楽を憎まず」ということです。


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