ベートーヴェンの最後のピアノソナタ第32番

2013.08.29.Thu.15:13
ベートーヴェンの音楽、
「第九」「運命」「英雄」「田園」「月光ソナタ」「悲愴ソナタ」などは
誰でも知っています。

しかしある程度、彼の音楽を聴いていくうちに
彼の精神的な高みは、
第九以降の「人生の下山」の境地の中で生まれた
ピアノソナタや弦楽四重奏曲あたりではないかと
思うようになる方が多いのではないでしょうか。

8/26(月)の午前中にラジオで
昨年亡くなった音楽評論家の吉田秀和氏による
『名曲のたのしみ』の特番が放送されました。
過去に放送された名解説、
「巨匠たちのベートーヴェン~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」。

ここではベートーヴェンの最後のピアノソナタ第32番ハ短調を
ウィルヘルム・ケンプ、クラウディオ・アラウ、ルドルフ・ゼルキンで聴き比べるというもの。
私、吉田さんの語り口が懐かしい~と思う一方で、
話される内容は、あいかわらず音楽の聴きどころを的確についていて
たいへんに興味が魅かれる内容でした。

総じて吉田さんが言い切っていたのは
「(このベートーヴェンのピアノソナタ第32番を弾くには)
人間的、精神的に成熟していないとイイ演奏はできない。
音楽家の到達点がここある。」ということでした。
このことには誰も異論はないと思います。

■ケンプの演奏についての吉田さんの指摘
・19世紀風の巨匠的な演奏、気分で弾いている感じもする。
・歌ごころがあってとてもロマンティック
・軽い感じ、そして早めの演奏
・ドイツ人であるからかベートーヴェンの心理的な距離が近く、
 生まれながら持っている内にあるものを表現している。
・気張りがない自然な演奏
・ピアノを弾くというよりも、音楽をやっている~(アラウとは対照的)

■アラウの演奏についての吉田さんの指摘
・ピアノの音がたいへんの美しい、近代的な響き
・豊麗という言葉が似合う。
・すべての音が大事に弾かれている。特に内声部分。「楷書」の音楽。
・おそく重量感がある演奏。敬虔な感じ。
・曲を弾くというよりも、ピアノを弾くという印象~(ケンプとは対照的)
・ちがう文化の国(チリ)に生まれ、ドイツ音楽の最高峰にたどり着いた

■ゼルキンの演奏についての吉田さんの指摘
・ケンプやアラウが生まれながらのスターとするなら、ゼルキンの出発点は室内楽。
・音楽に使えるしもべ、あるいは音楽に奉仕するピアニスト。
・中欧出身者の音楽家によくある、素晴らしい音楽性。
・子供のような純真な心で演奏している。
・スターピアニストのような鼻につくようなところがない。
・音がたいへんに澄んでいて、冴えがある。細身の刀のよう~。
・巨匠的でない巨匠

これら3人のピアニストの演奏への評価は
吉田さんが音楽全般を論じる時のような急所になる言葉が満載で
終生、一貫した考え方をお持ちになっているように
私には感じられました。

この放送の後、
私が所有するピアノソナタ第32番ハ短調作品111のCDを
いろいろ聴きあさってみました。
リヒテル、グルダ、ミケランジェリ、ゼルキン、ポリーニ、
アファナシェフ、ブッフビンダー、グード、シフ。

どれが好きかは、選ぶのが難しいです。
しかし私が特に好きな第2楽章だけでみると
ゆったりとした天国的な演奏のアファナシェフ盤が好きです。
なぜかシューベルトの大ハ長調交響曲を思い出します。

この楽章は、簡素で歌うようなアダージョと指示されています。
変奏曲形式ですが、ベートーヴェンの晩年の全てが
ここに凝縮されている感じがします。
アリエッタ(小さなアリア)の名付けられていますが、
ベートーヴェンは小さな声で歌いたかったのでしょうか?
あの奇人アファナシェフが、
神妙に演奏している姿が演奏から見えてくるよう~(笑)



はなしは変わりますが
吉田さんの著作『私の好きな曲』の
ベートーヴェンのピアノソナタ第32番ハ短調の箇所で
吉田さんはヴァイオリン奏者・メニューインの言葉を引用しています。
これが実にイイ。

「ベートーヴェンはヴァイオリンに対し、
この楽器がそれまで知らなかったような偉大な意味と表現を深みをあたえ、
ある点でこれを、ピアノと同じように文学的な楽器にほぼ変えてしまった。
彼のバイオリン書法は、深く心を動かす知的論述で、詩というよりは言語であり、
純粋に喜びをあたえるというよりはむしろ、ここをを高め思想を喚起するものである。
われわれは、モーツァルトには耳を傾けるが、
ベートーヴェンの音楽を聴く場合は、精神を集中させる。」

私もベートーヴェンの言葉に耳を澄ませて
彼の音楽を聴くことにしよう~。
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