1ヶ月前に聴いたツィメルマンのピアノ

2013.01.04.Fri.23:33
ちょうど1ヶ月前に東京で
クリスチャン・ツィメルマンのピアノ・リサイタルを聴きました。
素晴らしい演奏だったのですがすぐに感想を書けなかったのは
ちょっとした不満があったからです。
それをどう書こうかを考えていううちに1ヶ月経ってしまった…。

■クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル
■2012年12月4日(火)@サントリー・ホール
♪ドビュッシー:版画
01.パゴダ
02.グラナダの夕べ
03.雨の庭
♪ドビュッシー:前奏曲集 第1集より
02.帆
12.吟遊詩人  
06.雪の上の足跡 
08.亜麻色の髪の乙女
10.沈める寺 
07.西風の見たもの
【休 憩】
♪シマノフスキ:3 つの前奏曲(「9つの前奏曲 作品1」より)
♪ブラームス:ピアノソナタ第2番嬰ヘ短調 作品2

ポーランド出身のツィメルマンは
ショパン国際ピアノコンクールを史上最年少(18歳)で優勝。
その後も着実にキャリアを重ねて、今日に至っています。
今や「世界の至宝」とも言われ、
現代で最高レベルのピアニストの一人とされています。
演奏に対する完璧な姿勢から、
リサイタルで弾くまでには10年もの年月をかけて曲を準備するそうです。

私は彼の演奏、CDでは何枚も持っていますが
生演奏で聴くのは今回が初めてでしたので
チケットを買って以来、リサイタルを楽しみにしていました。

ツィメルマンはまずテクニックが完璧で
非常に輝かしい音には惚れ惚れとしました。
ピアノが“歌う”というよりも“鳴る”ように響いていました。
このような比喩が適当かどうか分かりませんが
CDで聴くミケランジェリの音が「水晶のようなキラキラした純度~」とするなら
ツィメルマンは「黄金の翼を持った鳥が飛翔するかのよう~」と
言ってもよいかなと思ったりしました。
ミケランジェリが「透明感」とするなら
ツィマーマンは「光沢感」が特徴と言えるでしょうね。

ツィメルマンの弾くドビュッシーは
特有の湿り気とぼんやりとした叙情性というよりも
ドビュッシーの音楽の構造を
解きほぐしてアナリーゼするかのような演奏でした。

またブラームスの第2ソナタは
若書きの感は否めない曲ですが、
ツィメルマンが弾くと、壮年のブラームスを感じさせる
堂々した素晴らしい楽曲に生まれ変わったようでした。

【Wikipedia】によるとツィメルマンは、
楽器を自分のコントロール下におくことを徹底しており、
公演ではプログラムで演奏する具体的なレパートリーに合わせて
自己の所有するピアノを入念に調整し、
それを世界中のホールに運搬し持ち込んで演奏しているらしいです。
リサイタルでは、調律師と共同でホールの特性に合わせた調律するなど、
音の響きのコントロールに対し比類のない情熱を傾けているとのこと。

なるほどそこまでして
あのような光り輝くような音が出ていたのかと
納得しました。

しかしながら、ツィメルマンが奏でる美しい音、
完璧なテクニックと完成度の高い演奏を聴いているうちに
何かちょっとした窮屈感を抱きました。
おそらく完璧主義者のツィメルマンなら
100回弾いて、100回とも同じ演奏になりそうな気がしたこと。
もう少し即興性というか、開放された感じというか、
「聴衆とともにピアニストとしての自分がいる~」
という雰囲気があってもよいと思われました。
ツィメルマンとピアノのコミュニケーションは十分かもしれませんが、
ツィメルマンと聴衆のコミュニケーションは不全に終わったリサイタルだった
と私は感じました。アンコールも無かったし~w。

私ごときの、
ただの音楽愛好者が
ツィメルマンのような大巨匠について
ちょっと否定的なことを論じるに躊躇していて
ずるずると1ヶ月近く経ってしまっていました。

そんなとき、
昨年末、FMの特集番組「名曲のたのしみ・最終回スペシャル」で
5月に亡くなった音楽評論家の吉田秀和さんが
歴史的大ヴァイオリニストのハイフェッツについて語った録音を聴いて
合点するところがあり、やっとツィメルマンの感想を書く気になったというわけです。

1988年1月31日の「名曲のたのしみ」で吉田さんは
前年の12月10日にニューヨークのホテルに着いて読んだ新聞に
世紀の大ヴィオリニストのハイフェッツ(86)の訃報を
知ったことからはじまります。
彼の演奏を聴いたことがある吉田さんは
「人を寄せ付けない貴族的なところ、
激情的なところがない端然とした隙のない弾きかたが特徴」
「冷たい感じはするけれど、感情よりも磨きぬかれた美しい音は
美人すぎる女性には近寄りがたいのと似ている」と語っていました。

そしてかけられたハイフェッツのレコードは
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第二楽章。
(ミンシュ指揮・ボストン響)

吉田さんは続けて
「ヴィブラートもキメ細やかでテクニック完璧。
すべての音がしっかり完璧に弾かれている。
しかし、それを聴く我々には、とっかかりがないというか
こちらから近づきにくい印象を受ける。
音楽の美しさよりも、ハイフェッツのバイオリンの美しさが正面に出てしまっている。
アメリカの文明は、精神的なものよりも美しさを追求する傾向にあるのは事実。」
というようなことを語られていました。

吉田さんがハイフェッツのヴァイオリンで感じた印象と
私がツィマーマンのピアノで感じた印象は
なんとなく似ている気がしました。

芸術至上主義もイイけど、
音楽を共有する聴き手との
言葉なきコミュニケーション能力も
音楽家にはあったほうがよい要素なのかもしれません。
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