中村紘子さんの訃報、私は夜想曲第20番嬰ハ短調を聴く

2016.07.29.Fri.12:12
今朝のニュースで、ピアニストの中村紘子さんの訃報を知り、
ビックリした!というよりも、その日が来たか!と思いました。
大腸がんの闘病をしていたことは知っていました。

彼女の生前の姿を見たのは
5月に放送されたテレ朝「題名のない音楽会」が最後でした。
若手ピアニストの演奏を客席で聞きながらその感想を語っていました。
表面的には元気に見えましたが、やはり顔色はよいとは言えなかった。

私が中村さんの演奏を生で聴いたのは2013年2月が最後でした。
日立シビックセンターの音楽ホールで聴いたチェリスト堤剛氏とのデュオ・リサイタル。
中村さんのピアノ演奏は内容的はとても雑なもので、私がガッカリしました。
しかし、後日、中村さんが大腸がんであることを公表されたので、
この時から体調を崩されていたのかなと想像しました。

私にとって、中村紘子さんは
本業のピアニストよりも、文筆家や教育者として評価しています。
米国在住のピアノ好きの知人が今朝の日記で書かれていた、
「中村氏の演奏との触れ合いより、音楽を語るピアニストとしての
中村紘子氏の思い出のほうが大きい」という言葉に、私も共感できます。

彼女の著作は3冊持っていますが、
書棚に『チャイコフスキー・コンクール』を発見したので
ひさびさにザッーと読んでみましたが、
おっ!と思ったところがありました。

(以下、引用)
ここで一つの仮説として、
必ずしも自虐的ではなくこう言うこともできよう。
この近代百年の日本のとりあえずの成果として、
現在の日本人の「鑑賞者」または「享受者」としては、
ついに世界一に達しつつある、と。
自虐的ではなく、というのは、
およそ音楽にとってよき「鑑賞者」よき「聴き手」を持つことは、
その未来のための最も大切な基盤となるからである。
もし日本人がクラシック音楽の鑑賞者として一流になれば、
それが新しい作曲家はもとより演奏家を生み育てるための
豊かな母胎ともならぬはずがない。

この文章を読んで、さらに思い出したのは
2012年に亡くなった音楽評論家の吉田秀和氏のこと。
サントリーホールで行われたお別れの会で、吉田氏の友人の丸谷才一氏の弔辞。
「吉田さんは、音楽が社会の中で位置を占めるのに最も必要なもの、聴衆をつくった。
戦後日本は半世紀以上にわたり、
吉田さんの批評に導かれ、慰められ、励まされ、喜ばされてきた。
彼がいなかったら、戦後日本の音楽文化は荒涼で貧しいものになっていたでしょう。
近代批評家全体の中で吉田さん以上に上質で品があり、分かりやすい文章で
表現した人がいたろうか。」

そういう点では、
中村さんもクラシック音楽の裾野を広げ、
クラシック音楽の聴衆を増やしてくることに貢献したひとりだと思います。
ピアニストとしてだけでなく、
音楽関連番組の出演、著作、カレーCMなど。

私の身近なところのある水戸市の佐川文庫では
中村さんが浜松のピアノコンクールで審査員をした際、
実際に審査したピアニストの中で、将来、有望と思われる金の卵を
佐川文庫でデビューリサイタルとして送り込んでくるシステムがあります。
金の卵たちは、自分でプログラムを考えさせ、
人前でプロとして初めて弾く経験を積ませることは、
彼らの勉強になっていることは明らかです。
代表的な出演者は
アリス・紗良・オット、田村響、北村朋幹、チョ・ソンジン、牛田智大各氏ら。

中村紘子さんの追悼という意味で
何かCDでピアノ曲をかけようと思いました。
中村さんはショパンが得意な方でしたね。

実は私、ショパン嫌いなのですが、
聴かず嫌いと言われたくないので
CDだけはいろいろ持っています。
DGやDECCAの音源によるショパン全集17枚組も…w。

ポリーニのピアノ・ソナタ第2番変ロ長調op35「葬送」を聴いた後、
なんかちがうと思いました。
そして夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)をマリア・ジョアン・ピリシュの演奏で聴きました。
ゆったりとしたテンポ、透明感がある音色、しみじみとした情感。
高原のコワイぐらい透き通った水をはらむ湖面のキラキラ感と
そこに吹く微風を感じるような演奏。
(この曲は、遺作と言ってもショパンの最後の曲ではなく、
亡くなった後に発見された曲なので、遺作と言われているようです。)

最後に、中村紘子氏のご冥福をお祈りします。
これまでクラシック音楽に
いろいろ貢献していただきありがとうございました。

IMG_3061nakamura.jpg

スポンサーサイト