「音の絵」を聴く~児玉桃氏のピアノ・リサイタル

2013.02.28.Thu.23:52
■児玉桃・ドビュッシーをとりまくピアノ音楽シリーズ
■第3回「ドビュッシーとラヴェル、ムソルグスキー」
■2013年2月23日(土)@水戸芸術館
■出演:児玉桃(ピアノ)

♪楽曲解説
♪ドビュシー:映像 第2集
1.葉ずえを渡る鐘の音
2.そして付きは廃寺に落ちる
3.金色の魚
♪ラヴェル:鏡
1.蛾
2.悲しい鳥たち
3.洋上の小舟
4.道化師の朝の歌
5.鐘の谷
 【休 憩】
♪楽曲解説
♪ムソルグスキー:展覧会の絵
 【アンコール】
♪チャイコフスキー:「四季」作品37bから第3曲“ひばりの歌”(3月)
♪チャイコフスキー:「四季」作品37bから第11曲“トロイカで”(11月)

最初に音楽から離れた話を書きます。
私は建築を設計するという仕事がら、
「幻視の建築家」と言われる人たちに強い関心を持っています。
彼らはドローイング・アーキテクトとも言われていて、
自分の夢と理想や哲学を盛り込んだ
空想上のユートピアのような建築を考えてきた人達です。
フランス革命のころ活躍した
エチレンヌ・ルイ・ブーレやクロード・ニコラ・ルドゥーらがその代表格でしょうか。
例えば、ブーレが構想した「ニュートン記念堂」は実現されませんでしたが、
極薄の壮大なドーム状から星を透かして見るという設計だったようで、
まさにリアル・プラネタリウムです。
このブーレがみた幻影のようなもの、とてもロマンティークだと思います。
今なら、透明なメンブレイン構造で実現できそうですね。
途方もない、あるいはささやかな幻影であっても
ひとはなんらかの形として表現したいと思う生き物のようです。

先週末、児玉桃氏のピアノ演奏で聴いた
ドビュッシー、ラヴェル、ムソルグスキーの音楽も
絵画的なイメージを音に置き換えられたことが印象づけられました。
作曲という作業が、作曲家がみたさまざまな幻影を
音として記譜する祈りの作業のように思えました。

この日、前後半ともに児玉氏の解説からはじまりました。
①フランス古典派のラモーやクープランの時代からフランス印象派まで、
 絵画的なイメージで音楽が作られた伝統のようなものがあること。
②児玉氏にとって、ドビュッシーの音の響きは雨や曇り空のイメージ、ラヴェルは青空。
③今回の演目ではドビュッシー、ラベル、ムソルグスキーらによる「鐘」の響きがでてくること。
ドビュッシーの「鐘」は鐘そのものではなく音が空間そのものに伝わっていく現象の様子を、
ラヴェルはパリ市内の教会の大小のさまざまな鐘そのものが鳴る様子を、
ムソルグスキーはキエフの大門に架けられている大きなロシアの鐘を
音楽で描いているので、そこのところをよく聴いてほしい。
④「展覧会の絵」は、ムソルグスキーの急逝した建築家の友人の回顧展でみた
絵画の主題のイメージを音楽にした組曲。
その中に間奏曲のように「プロムナード」が何度も登場。
これは単に曲と曲をつなぐというだけでなく、
亡き友が描いた絵をみたムソルグスキーの気持ちが感想文のように
よく表れているのではないか~
というお話でした。

これらのことを頭に置いて児玉氏の演奏をききましたが、
4回に渡る児玉氏のドビュッシー・シリーズで
今回がいちばんドビュッシーの音楽の独自性がいちばん出るのではないかと
私は予想していましたが、その通りだったと思います。
ちなみに第1回目の古典派とドビュッシーの対比、
第2回目の前奏曲集からみるショパンとドビュッシーとの対比、
今回(第3回目)の絵画的なイメージを音にした3人の作曲家の対比、
次回(第4回)のメシアンや武満らの現代音楽とドビュッシーの対比
となっています。

②で書いたように、
児玉氏はドビュッシーの音の響きは雨や曇り空、ラヴェルは青空のイメージ
と語っていましたが、それはピアノの弾きかたにもよく感じられて面白かったです。
ドビュッシーの場合、鍵盤の上の空気をつかむような弾き方で音の輪郭はぼんやり、
一方、ラヴェルはの場合、まっすぐに鍵盤を叩いて音の輪郭がくっきり。
ちなみに
私なりに彼らの音楽性のちがいを風景で喩えるなら
自分がフランスをフラフラ旅していた時の記憶から
ドビュッシーは霧や小雨の中でぼんやりと浮きあがるような
フランス北西のブルターニュ地方の景色、
ラヴェルは、乾いた空気の中で広がる抜けるような青空と地中海が広がる
南フランスのコート・ダ・ジュールの景色
という感じでしょうか。

「映像Ⅱ」で聴くドビュッシーの追った幻影は
鐘、中国の寺、金魚そのものの実体そのものでなく
それらがもたらす音の余韻、建築のたたずまい感や陰影、金魚が泳いだ後の波紋や光。
一方で、「鏡」で聴くラヴェルの音楽の追った幻影は、蛾や鳥などの実体そのものの映像。
これって、建築家が作り出したいものが、
「モノよりも空間なのか?」「余白の部分よりも建物そのものなのか?」
という志向のちがいにも似ています。

そういう点では、ムソルグスキーの「展覧会の絵」では
ドビュッシーとラヴェルの両方の側面を持っていることに気付きました。
ドビュッシーはムソルグスキーを尊敬していたようですし、
ラヴェルはこの曲を管弦楽版に編曲したぐらいなので、
ムソルグスキーの音楽性が彼らの血や肉になっていたことは確かなようです。

児玉氏の④の話にあったように、「展覧会の絵」にみられる
ラヴェルが得意な視覚的イメージを音で置き換える部分、
ドビュッシーが得意な視覚から生じる内なる印象を音に置き換える部分は
ラヴェルとドビュッシーの音楽的志向を理論武装を補強してくれているようです。
私見ですが、有名な「プロムナード」のメロディが出てくる度に、
脳裏にムソルグスキーが思い浮かび、それってワーグナーが作り出したと言われる
ライトモチーフの考え方に通じるものがあるような気がします。

今回のピアノ・リサイタルは
音楽的な興味をとても満足したものでした。
前の週、ある有名ピアニストN女史の酷い演奏を聴いたばかりだったので
いい清涼剤となってくれました。
ここ数年、水戸芸術館で演奏する機会が多いピアニストとしては
児玉桃氏と小菅優氏が圧倒的に多いでしょうか。
この二人の音楽、私の耳には非常に対照的に映ります。
小菅氏は、あふれ出るような感情表現が得意なのに対し、
児玉氏は、クールでキラキラ感があるスタイリッシュな演奏が得意と言えるでしょうか。
ちょうど太陽と氷の関係のよう~。
来週は東京・紀尾井ホールで
小菅氏のベートーヴェン・チクルス#5を聴きます。
特にピアノ・ソナタ第26番「告別」が楽しみです。


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