映画「桜田門外ノ変」をみて~

2010.10.31.Sun.23:38


映画「桜田門外ノ変」の公開がはじまって、
まる2週間が経ちました。
私はこの映画の関係者でもあるので、
(ボランティアでエキストラ出演をしただけですが、)
映画を見た感想を書きにくいなぁと思っていました。
ほとぼりが冷めた頃だと思うので
ポロッと映画の感想をUPさせていただきます。

この映画を見おわった後の印象は、
「おもしろかった~」とは、言い難いのですが、
いろいろと考えさせられるというか、
映画の余韻を長く引きずってしまう映画です。

いわゆる「桜田門外ノ変」とは、
1860年(安政7年)3月3日、
江戸城桜田門外で水戸藩、薩摩藩の脱藩浪士が
彦根藩の行列を襲撃し、
大老の井伊直弼を暗殺した事件です。
黒船来航の7年後に桜田門外の変が起こり、
その8年後に明治維新が起こる
という時代背景になっています。

ペリーの来航以来、
鎖国の門戸を開こうとする
井伊直弼(伊武雅刀)ら徳川幕府の譜代大名らと、
それに異を唱えて尊王撞夷論を主張する
水戸藩主徳川斉昭(北大路欣也)が対立。
それに続く、
斉昭の蟄居と失脚、井伊による「安政の大獄」などで、
両者の溝はさらに大きくなっていきました。
映画では、井伊暗殺の実行部隊の指揮を執った
水戸浪士・関鉄之介(大沢たかお)を中心に
彼らが井伊殺害を決意する経緯、
そして事件後に次々捕縛されて
刑に処せられていくまでが映画に描かれています。

私はこの映画が公開される2週間前に
映画「十三人の刺客」という痛快時代劇をみたばかりでした。
爽快な気分で「おもしろかった~」と言える娯楽活劇でした。
一方、「桜田門外ノ変」は全く対照的にとても重厚で暗い。
人間のはかなさ、哀しさ、そして死が通奏低音として流れる
一種の歴史絵巻をみていたような感じでした。

しかし、歴史とは
教科書に出てくるような偉人や英雄だけでつくるものではなく、
名もなき数多くの人々によってつくられたものでもあり、
そのために多くの血が流れたことが
この映画から強く印象づけられます。

司馬遼太郎氏は、『幕末』という小説の中で「桜田門外ノ変」を
「史上希有な、歴史を前に動かす暗殺」と書いていますが、
この事件を起こしたのは市井の18人の浪人でした。
劇中に「このままでは日本は滅びる」という
水戸浪士・関鉄之介の台詞がありましたが、
私のような戦争を知らない世代にとっては
とても重い言葉です。


さて、この映画の最大の見せ場は
井伊大老の襲撃シーンでしょう。
それをどうどう扱うかで、
この映画のレゾンデートルが
決まると言ってよいと思われます。

まず襲撃そのもののシーンは
なかなか迫力があって見事でした。
桜田門外に着いた彦根藩の行列を、
水戸浪士たちが襲いかかります。
降りしきる雪の中で、
水戸側の衣装の「黒」と、
井伊側の衣装の「黄色」が激しく交錯します。
雪化粧した「純白」の地面を、
鮮血の「赤」が染めていきます。
肉体同士がぶつかり合う殺陣の激しさと、
絵画的な色彩の鮮やかさに強い衝撃を受けました。
リアリズムと様式美が一体化した映像美でした。

一方で、構成という見方でとらえると、
このシーンが映画全体のどの辺りで出てくるかで
映画の趣旨がまったく違うものになると思われます。

「忠臣蔵」や「水戸黄門」のように
終盤に物語のクライマックスを配置すると、
桜田門外ノ変そのものが華々しく終わることになる。
これでは大老を討つことだけで終わってしまう。
この映画ではそれを是としなかった。

実際のところ、襲撃シーンは映画の前の方におかれました。
犯人を最初に教えてしまう推理小説と同じで、
映画そのものを倒叙的に構成されています。
はじめに襲撃シーンを見せてしまい、
その後に事件に至る背景と、
暗殺にかかわった水戸藩士たちの運命が
淡々と描かれていきます。
その結果、映画がやや先細りになってしまった感は否めません。

このような構成にこだわった佐藤監督は
おそらくこの襲撃事件が
美化されることを避けたのだろうと私は想像しました。

映画の中でも
加害者の水戸浪士と被害者の井伊直弼、
どちらが正しかったのかということを天秤にかけることなく、
ニュートラルなスタンスでとらえています。
「このままでは日本が滅んでしまう」という危機感の中、
双方がどう考え、どう行動したかということに重きをおき、
重厚な緊張感を映像でつくりだしています。

佐藤監督は、ドラマとしてのおもしろさよりも
むしろ事件に関わった人たちがその後、
どのような最期になったのかを淡々と描き、
史実を忠実に伝えることに執念を持っていたのでしょうね。

私は佐藤純彌監督の映画を数本、見ています。
「新幹線大爆破(1975)」
「君よ、憤怒の河を渉れ(1976)」
「野性の証明(1978)」などでは、
これらは、国家権力に立ち向かう
男たちの生きざまを描いたものでした。
また、
「男たちの大和/YAMATO(2005)」は
戦艦大和が米軍に撃沈されるという戦争映画であるにもかかわらず、
反戦のメッセージが強く印象づけられるものでした。

これらのことをふまえると、「桜田門外ノ変(2010)」は
佐藤監督の映画づくりの美学の延長上に
位置したものであると私は確信しています。
幕府に立ち向かう浪士たちの凄まじい生きざまと、
テロと正義の関係を問いただす意思が
これまでの作品のメッセージと変わっていないからです。
そういう点では、この映画は
「おもしろい、おもしろくない」
という評価さえを拒否している気骨を感じました。


三大紙の「桜田門外ノ変」の映画評を読んでみましたが、
その中で朝日新聞の評に興味深い内容がありましたので、
最後にその一部を引用します。



(朝日新聞・2010年10月15日夕刊)
近頃の大河ドラマは随分ヤワになった。
権力闘争より愛と友情に、
主人公の強さより格好良さに重点を置くようになった。
俳優のいでたちは現代的になり、
偉人が今どきのイケメンにしか見えない。
その点、佐藤純彌監督の新作は、
幕末の大事件を正面から見据えている。
まだオヤジのものであった
往年の大河ドラマをほうふつとさせる。
(中略)
しかしまあ古色蒼然としている。
侍はあくまで武骨に。女はあくまで控えめに。
一種のアナクロニズムだが、
現代的な発想や美意識を排する姿勢には共感を覚える。

井伊暗殺に呼応して、
薩摩藩3千の兵を京都に送り込む手はずになっていた。
ところが薩摩はいくら待っても挙兵しない。
その間に暗殺実行者は追いつめられていく。
このあたり、歴史のダイナミズムに満ちている。
これは時代劇というより歴史劇である。
(後略)



最近、歴史上の人物を観光目的でキャラクター化したり、
「歴女」と呼ばれている歴史好きの女性に
男らしい強い戦国武将を憧れるように煽る風潮とか、
ひと昔前の歴史観から考えられない様相を呈しています。
それがダメだとは思いませんが、
歴史を真正面からみるということを学ぶのなら、
この映画「桜田門外ノ変」はおすすめだと思います。


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