リスト編のピアノで聴くベートーヴェン交響曲

2017.09.13.Wed.19:52
私が運転中によく聴くCDのなかに、ロシアの技巧派ピアニスト、コンスタンティン・シチェルバコフが弾くヨハン・シュトラウスのウィンナー・ワルツのピアノ編曲集があります。シュトラウスの流麗なメロディをマックス・レーガーやアルフレート・グリュンフェルト、エドゥアルド・シュットら20世紀の作曲家が超絶技巧と新感覚を駆使して編曲したものが入っています。そのコンスタンティン・シチェルバコフが弾いたリストがピアノ独奏のために編曲したベートーヴェンの交響曲全集を最近、買いました。原曲の交響曲全集は数セット(本当はいっぱいある)持っていますが、まだピアノ編曲版は持ってなく、いつか買いたいと思っていました。

ざっと聴いてみて思ったのは、初期の1~2番と4番の交響曲のピアノ編曲版がオリジナルのピアノ・ソナタように感じられたことがおもしろかったですね。特に交響曲第2番の2楽章。美しいメロディを持った楽章で、最後がフーガになっています。ピアノ版で聴くとベートーヴェンの中期のピアノ・ソナタの香りが感じられました。3番以降の交響曲にくらべて、シンプルなつくりだからでしょうかね?第6番「田園」もピアノにハマっていたと言えるでしょう。私が「音の風景画家」と考えているメンデルスゾーンの無言歌的な響きが聴こえてきました。9つの交響曲を通して聴いてみると、緩徐楽章やスケルツォがいちばんピアノの収まりがよいかもしれませね。
ちょっとおかしかったのは、3番「英雄」の第4楽章。私、リストのロ短調ソナタに聴こえてきた一瞬がありました。リストは自分の音楽をベートーヴェンに重ねたのでしょうか。

昔、ベートーヴェンの生涯を描いた映画では、難聴だったベートーヴェンが片方の耳をピアノに当てながら、音を確かめるようにピアノを弾いていたシーンがありました。またウィーンを外遊した時、エロイカ・ハウスでベートーヴェンが弾いたとされるピアノも見てきました。しかし、リスト編のような音は直接、聴こえていなかったはずです。でも彼の脳裏では、これと同等の音が響いていたのかなぁ…と想像してみました。

そう言えばリストは、「ボン・ベートーヴェン記念碑除幕式のための祝祭カンタータ」という曲も作っていました。リストはベートーヴェンを尊敬していたのでしょうね。そうでなければ、交響曲を全部、編曲するようなことはしないでしょう。

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イリーナ・メジューエワが弾くオール・ベートーヴェン・ピアノリサイタル

2017.08.29.Tue.20:24
私、6~8月はちょっと忙し気味で、せっかく聴いた音楽会の感想も書けないままでいました。たとえば原田幸一郎氏らの室内楽@紀尾井ホールやゲルギエフ指揮によるPMFオーケストラ@ミューザ川崎など。数週間経ってしまうと、記憶が薄れていってしまうのですが、何かに関連付けてその時の感想も付記したいと思っています。

先週の土曜日(8/26)は、イリーナ・メジューエワの日本デビュー20年記念リサイタルを聴くためだけに上京しました。これだけは、何か書いておかなければいけません。

■イリーナ・メジューエワ
 日本デビュー20周年記念リサイタル Vol.1  
■2017年8月26日(土)@ 東京文化会館小ホール
■オール・ベートーヴェン・プログラム
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
【休 憩】
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
【アンコール】
ベートーヴェン|6つのバガテル~第5曲 Op.126-5

3月にメジューエワのオール・シューベルト・プログラムのリサイタルを銀座のヤマハ・ホールで聴きましたが、たいへんによかったので、入場時に配られたチラシの中にあった8月のオール・ベートーヴェン・プログラムも聴きたくなりました。まずプログラムがいい。27番はベートーヴェンの中期を締めくくる曲。そして30~32番は最晩年の大傑作。ピアニストとしてある領域へ達していないと人前では弾けないようなプログラムです。

今回の演奏会でも、メジューエワはロシア・ピアニズムの真髄を聴かせてくれました。重量奏法による力強い響き、ホールの隅々まで響きわたる極めて弱い音、そして「語る」かのような歌いまわし。私はこういう演奏が好きです。メジューエワはパッと見は可憐で少女の面影を残す印象ですが、それとは真逆の骨太なフォルテッシモを響かせる度に意表を突かれた感じがしますw。

私は3月のリサイタルでメジューエワのピアノは遠めの方がよいと感じたので、この日はセンターの後方の席を取りました。演奏会の冒頭、まず「オッ!」と思ったのは、第27番の強い打鍵ではじまる短い序奏のところ。ピアノの音がまったく割れず伸びやかに美しく響きわたりました。そういえばプログラムにこの日は特別のピアノで弾かれる旨の記述がありました。1925年製のスタインウェイのCD135という銘器。メジューエワは、この序奏のところ、過去の思い出を振り切るような屹然とした弾き方でした。第2楽章は優美なメロディが印象的に弾かれました。やはり最弱音もとてもよく響きわたっています。私は彼女が紡ぐ弱音が好きです。楽譜から言葉を紡いでいるような弾き方が好きだからです。と同時に、3月に聴いた彼女のシューベルト・プロのリサイタルの時のことを思い出しました。なぜなら2楽章がシューベルトを思わせる切なく流れるような歌い方だからです。というか、後輩シューベルトがベートーヴェン先輩の27番を聴いていたということでしょう。この楽章を聴いた後に続く30番の冒頭もとても軽やかです。音楽の流れをよく考えた構成でしょうか?メジューエワの弾く30番も第2楽章の澄み切った単純なメロディを、「祈る」ように弾いていました。こういうところって、ピアニストの真骨頂だと思っています。

休憩時間にトイレに行った時に気づいたのですが、男性トイレに長い列が出来ていました。しかも初老の方が多い。マーラーやブルックナーの長大な交響曲の演奏会は男性の割合が高いので異例にトイレが混みます。たしかに3月も男性率が高かった。メジューエワはなぜか男性に人気があるようです。ホールを見渡すと6割ぐらい男性客。メジューエワは確かにロシアの妖精のような色白で可憐な女性ですが、彼女の音楽に対する姿勢は、たいへんにストイックです。トイレの列では、mixiでお世話になっているGRFさんに会いました。やっぱり来ていらっしゃった。約束した訳ではないのに、GRFさんとはコンサートでよくお会いします。
 
後半は私が大好きな31番変イ長調からです。序奏が讃美歌のように弾かれた後、清らかで澄んだメロディが続きます。どことなくメジューエワは何かを追想しているかのよう。それは第1楽章や3楽章のフーガが、ただ互いに追いかけあっているだけでないように聴こえたからです。私、この曲はベートーヴェンが自分自身のために書いた曲じゃないかと思わせるようなメジューエワの演奏でした。それと印象的だったのは、右手だけで単純な二声のフーガ風に弾いている時など、片方の休んでいるはずの左手は何かを演じているかのように宙を漂っていました。休符であっても、楽譜の休符の中に何か「言葉」のようなものを読み取っていたのでしょうか?実はこの日ものメジューエワは楽譜を見ながら演奏していました。彼女ほどのピアニストなら暗譜でも弾けるのに、なぜ楽譜を置いているのか?終演後、その件についてGRFさんの意見は、「記憶して弾く時に起こりうる曖昧さや、記憶に頼るとどうしても出てしまう主観を嫌ってメジューエワは楽譜を見るのではないか…」ということでした。私も、楽譜に忠実に弾くという態度には、音楽家としての「良心」を感じます。あの大巨匠スヴァトラフ・リヒテルでさえ、晩年は楽譜を置いてピアノを弾いている姿を30年ぐらい前に私は目撃しました。抜群の記憶力を持つというリヒテルが楽譜を置く理由は、楽譜で求められている音と老化によって実際に聴こえる音が違ってきたためだと青柳いずみ子氏の著作で読んだことがあります。

そして最後は32番ハ短調。私、この曲をいろいろな演奏家で聴いてきましたが、メジューエワの演奏を聴きながら、なぜかリストのロ短調ソナタが聴こえてくるかのような不思議な経験をしました。音と音の間合い、ポツッ、ポツッと叩く間合い、響きの厚さがリストのソナタと似てた。これって、リストもこのベートーヴェンの32番を聴いていた…と私は考えました。この日のメジューエワのベートーヴェンのソナタを振り返ると、ベートーヴェンの音楽からバッハやシューベルトやリストが聴こえてくるというのは、彼女は音楽の時空をタテ糸とヨコ糸でしっかり紡いでいたと言えるのではないでしょうか。

帰路、気づいたのですが、今回のプログラムの4曲は、順に2楽章→3楽章→(休憩)→3楽章→2楽章になっています。休憩を(鏡)とすると前後半が対称形です。これは偶然なのか、メジューエワが意図した構成なのかは分かりませんが、美学のようなものが感じられて嫌いじゃないですw。

この日は蒸し暑かったのですが、はるばる日立からこのリサイタルを聴きに行ってよかったです。私が演奏会をすばらしくするための3要素(①演奏内容、②主催者のホスピタリティ、③聴衆の聴く態度)がそろっていたからです。メジューエワの演奏は言うまでもありません。よく調整されたヴィンテージ・スタインウェイを用意してくれた主催者。またタテ書きによる和風のプログラムも斬新な感じがしました。それと高い集中力で演奏を聴き入っていた聴衆。今年聴いた演奏会ではもっとも感銘を受けました。

クリスティアン・ツィマーマンの23年ぶりの新譜はシューベルト

2017.07.22.Sat.09:13
昨年2016年に聴いた音楽会でもっとも感銘を受けたのは、
1月に水戸芸術館におけるクリスティアン・ツィマーマンのピアノ・リサイタルでした。
オール・シューベルト・プログラムでした。
その時の演目は以下の通り。

シューベルト:7つの軽快な変奏曲 ト長調
シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960

まさに晩年のシューベルトの心境に寄り添った素晴らしい演奏。
この時ほど、音楽を聴いてきてよかった…と思ったことって多くありません。
また、あの日のような演奏を聴きたいと思いながら、
私はいろいろな音楽会へ足を運んでいるわけです。

ツィマーマンは訳あって長くレコーディングを中止していました。
だから彼が1990年に録音した即興曲D899とD935のCDを聴きながら
あの夜の彼のシューベルトの演奏を思い出すことも少なくありません。

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昨日の正午、音楽好きの友人U氏に用事があって電話をしたところ、
「ツィマーマンが新譜を出すの知ってる?」という言葉にビックリ。すばらしき朗報
なんと昨年、私たちが聴いたシューベルトの20番、21番のソナタを
日本ツァーが終わった直後、なぜか新潟県柏崎市で録音をしていたらしい。
これは彼にとって23年ぶりのソロ・アルバムになります。
長く録音を封印していたツィマーマンですが、
自分でも納得できる会心のツァーができたことで
録音する気になったのでしょう。
U氏との電話を切った瞬間に、
ポチ買いしたのは言うまでもありません。
9月の発売が待ち遠しいです。

特に、ピアノソナタ第21番変ロ長調D960は私が偏愛する曲です。
これまでライブで聴いたピアニストの中で、
私にとってはクリスティアン・ツィマーマンとラドゥ・ルプーが最高峰です。
音から芳香が感じられたような気がしました。
ツィマーマンはバターの香り、ルプーはオリーブオイルw。

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いにしえより響くハープ…佐々木冬彦作品集・愛について

2017.06.25.Sun.07:59
作曲家でハープ奏者の佐々木冬彦氏から新作のCDをいただきました。佐々木氏の奥様でヴァイオリニストの宮野陽子氏(東邦音大教授)は私の30年来の友人です。昨年、宮野氏のヴァイオリン・リサイタルのプログラムを佐々木氏が解説担当、私がデザイン担当というご縁があります。

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ハープというと、美女が流麗に弾く姿を思い浮かべる方が多いと思います。男性でハープを弾く方って、あまり多くありません。私が知る限り、かつて男性団員しかいなかった頃のウィーン・フィルのハープ奏者は男性でした。まずは先入観なしに解説を読まずに聴きはじめました。はじめて聴いた佐々木氏のハープの音色はいままで聴いた女性ハープ奏者の方々とは違って聴こえました。流麗というよりも、ひとつひとつの音を確かめるように弾いていて、「素形」の音によって時空を意識しながら奏でているという印象。それがよくでていたのが、1曲目のハープ独奏の「悲歌」 ( 2012)と5曲目のハープ、 箜篌、ヴィオラ、笙による「その橋は天へと続く」(2015)です。

「悲歌」 は、単音と短いフレーズから成る音楽。低い音も印象的。なぜか音そのものよりも、その余韻・余白が何かを訴えているかのよう。静かなそしてもの哀しいな響き。雅びな楽想。その時、歌人・佐佐木信綱が詠んだ「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔のうえなるひとひらの雲」という短歌を思い出しました。塔の水煙にある飛天という天女たちは永遠の音楽を奏でていると言われています。なんともタイプトリップをしたような気持ちになりました。解説には、この曲は311大震災後に作られたとありました。余韻が印象に残ったのは津波で犠牲になった方々への声なき声だなのかもしれません。

「その橋は天へと続く」はハープ、 箜篌(くご)、ヴィオラ、笙で演奏される室内楽。箜篌というのは、古代ハープだそうです。佐々木氏が西洋のハープと古代ハープを弾くので、この曲は三重奏ということになります。ハープが歌い、ヴィオラがオブリガート的、笙が通奏低音的に重ね合わされた音楽。この音楽も時代を遡及するようなイメージ。西洋の楽器と日本の伝統的な楽器で風雅な響きを作っています。ふと、私はドビュッシーの「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」に似た響きを発見しました。後日、CDのお礼を兼ねてこの話をメールに書いたら、ドビュッシーの作品ならびに同じ楽器構成の武満徹作曲「そして、それが風であると知った」も意識されたとお返事がありました。そしてフルートの代わりに笙をつかったそうです。解説には、2015年の琳派400年記念を記念して、一柳慧氏から依頼されて作曲したとありました。尾形光琳の「八橋図屏風」から触発されて、3つの楽器で金地、橋、燕子花を表現したともありました。解説書の裏に、光琳の絵画の一部があったのはそのためだったのですねw。

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私は佐々木氏のCDを聴きすすめながら、私が名古屋に勤務していた時に懇意にしていた画商から買ったベン・シャーンの「キタラを弾く男」というリトグラフのことも思い出しました。この男はおそらくヘブライ人でしょう。大きい作品なので仕舞いこんでしまい、最近出していません。下部に置かれたワインの瓶と比べてたらその大きさが想像がつくと思います。この画像はだいぶ前に撮ったもの。ベン・シャーンの線のような力強さが佐々木氏のハープからも感じられすね。シャーンの作品の特徴として「手」の表現が有名です。長い指が縦横無尽に弦を弾いています。この男性は虚ろな目で天を仰ぎながら竪琴をポロン・ポロンと弾いています。そこから立ち上がるメロディは、おそらくもの哀しいものじゃないでしょうか。実際、このCD全体には哀感があふれていました。実際に解説書には、311大震災以降、佐々木氏の音楽の本質が変わってしまったという意識、自分が視力を失ってしまいハープが弾けなくなるかもしれないという不安、病気との闘い、そういった葛藤の中で、これらの音楽をつくってきたことが記されていました。私が第一印象で持った哀感とは、まさにそれだったのだと気づきました。佐々木氏のご健康とますますのご活躍をお祈りしています。

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佐々木冬彦作曲集「愛について」
1「悲歌」 (for harp 2012)
2「光の道」 (for harp 2016)
3「哀歌」 (for violin and harp 2011)
4「愛について」 (for violin and harp 2014)
5「その橋は天へと続く」 (for sho, viola, harp and kugo 2015)

佐々木冬彦(ハープ 1-5 & 箜篌 5)
宮野陽子(ヴァイオリン 3-4)
市坪俊彦(ヴィオラ 5)
伊藤えり(笙 5)

昭和27年の「レコード芸術」創刊号

2017.04.29.Sat.11:55
先週でた「レコ芸5月号」は創刊800号の記念誌。
昭和27年(1952年)の創刊号が特別付録に付いてくる
というので買ってきました。

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表表紙には指揮者のトスカニーニ。
裏表紙は、トスカニーニ&NBC響の「悲愴交響曲」の広告。
雑誌の定価が98円とありますが、地方売価100円って?
活字の書体や文字の多さ、小ささが昭和っぽい。
というか、今日4/29って「昭和の日」じゃん!!
別冊楽譜「悪魔のトリル」とあるのは、昔の付録に楽譜があったのかな?
文章を寄せている評論家や音楽家も重鎮がそろっています。
ピアノソナタのことを古風に「奏鳴曲」と記している方もいますね。
創刊号ということもあって、内容が非常に濃く力が入っていて
当時の音楽評論家のみなさんの気迫が感じられます。

その中にあって、ちょっとほっこりしたのは故・芥川也寸志(作曲家)のエッセイ。
題名は「私のイゴオル」。イゴオルというのは、イゴール・ストラヴィンスキーのこと。
彼の父・龍之介が遺した手回し蓄音機とレコードの中に
ストラヴィンスキーの「火の鳥」や「ペトルーシュカ」があり、
幼稚園生のころからおもちゃのようにそれを聴いていたそうです。
童謡より先に、ロシアのバレエ音楽が彼の頭脳に刷り込まれたようですね。
そういうところから、彼の音楽人生がはじまったのでしょうね。

私が子供のころ、『音楽の部屋』というTV番組を楽しみに見ていました。
司会がその芥川也寸志氏と、今も元気な黒柳徹子氏。
はじめてみた回でストラヴィンスキーの「春の祭典」が演奏された時、
このような荒々しい音楽があるのか!とビックリしたことがあります。
そういう点では、私は芥川也寸志氏にストラヴィンスキーを教えてもらった…
ということになりますね。
お小遣いで彼のレコードを買いに走りました。
初めて買った「春祭」は、
コリン・デイビス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウによる
とても印象的なジャケットのLPでした。

「レコ芸」だけでなく、SNSで知り合った方々やリアルな友人など
クラシック音楽好きの人々とは、いろいろな点で連綿としたつながりを感じます。