いにしえより響くハープ…佐々木冬彦作品集・愛について

2017.06.25.Sun.07:59
作曲家でハープ奏者の佐々木冬彦氏から新作のCDをいただきました。佐々木氏の奥様でヴァイオリニストの宮野陽子氏(東邦音大教授)は私の30年来の友人です。昨年、宮野氏のヴァイオリン・リサイタルのプログラムを佐々木氏が解説担当、私がデザイン担当というご縁があります。

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ハープというと、美女が流麗に弾く姿を思い浮かべる方が多いと思います。男性でハープを弾く方って、あまり多くありません。私が知る限り、かつて男性団員しかいなかった頃のウィーン・フィルのハープ奏者は男性でした。まずは先入観なしに解説を読まずに聴きはじめました。はじめて聴いた佐々木氏のハープの音色はいままで聴いた女性ハープ奏者の方々とは違って聴こえました。流麗というよりも、ひとつひとつの音を確かめるように弾いていて、「素形」の音によって時空を意識しながら奏でているという印象。それがよくでていたのが、1曲目のハープ独奏の「悲歌」 ( 2012)と5曲目のハープ、 箜篌、ヴィオラ、笙による「その橋は天へと続く」(2015)です。

「悲歌」 は、単音と短いフレーズから成る音楽。低い音も印象的。なぜか音そのものよりも、その余韻・余白が何かを訴えているかのよう。静かなそしてもの哀しいな響き。雅びな楽想。その時、歌人・佐佐木信綱が詠んだ「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔のうえなるひとひらの雲」という短歌を思い出しました。塔の水煙にある飛天という天女たちは永遠の音楽を奏でていると言われています。なんともタイプトリップをしたような気持ちになりました。解説には、この曲は311大震災後に作られたとありました。余韻が印象に残ったのは津波で犠牲になった方々への声なき声だなのかもしれません。

「その橋は天へと続く」はハープ、 箜篌(くご)、ヴィオラ、笙で演奏される室内楽。箜篌というのは、古代ハープだそうです。佐々木氏が西洋のハープと古代ハープを弾くので、この曲は三重奏ということになります。ハープが歌い、ヴィオラがオブリガート的、笙が通奏低音的に重ね合わされた音楽。この音楽も時代を遡及するようなイメージ。西洋の楽器と日本の伝統的な楽器で風雅な響きを作っています。ふと、私はドビュッシーの「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」に似た響きを発見しました。後日、CDのお礼を兼ねてこの話をメールに書いたら、ドビュッシーの作品ならびに同じ楽器構成の武満徹作曲「そして、それが風であると知った」も意識されたとお返事がありました。そしてフルートの代わりに笙をつかったそうです。解説には、2015年の琳派400年記念を記念して、一柳慧氏から依頼されて作曲したとありました。尾形光琳の「八橋図屏風」から触発されて、3つの楽器で金地、橋、燕子花を表現したともありました。解説書の裏に、光琳の絵画の一部があったのはそのためだったのですねw。

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私は佐々木氏のCDを聴きすすめながら、私が名古屋に勤務していた時に懇意にしていた画商から買ったベン・シャーンの「キタラを弾く男」というリトグラフのことも思い出しました。この男はおそらくヘブライ人でしょう。大きい作品なので仕舞いこんでしまい、最近出していません。下部に置かれたワインの瓶と比べてたらその大きさが想像がつくと思います。この画像はだいぶ前に撮ったもの。ベン・シャーンの線のような力強さが佐々木氏のハープからも感じられすね。シャーンの作品の特徴として「手」の表現が有名です。長い指が縦横無尽に弦を弾いています。この男性は虚ろな目で天を仰ぎながら竪琴をポロン・ポロンと弾いています。そこから立ち上がるメロディは、おそらくもの哀しいものじゃないでしょうか。実際、このCD全体には哀感があふれていました。実際に解説書には、311大震災以降、佐々木氏の音楽の本質が変わってしまったという意識、自分が視力を失ってしまいハープが弾けなくなるかもしれないという不安、病気との闘い、そういった葛藤の中で、これらの音楽をつくってきたことが記されていました。私が第一印象で持った哀感とは、まさにそれだったのだと気づきました。佐々木氏のご健康とますますのご活躍をお祈りしています。

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佐々木冬彦作曲集「愛について」
1「悲歌」 (for harp 2012)
2「光の道」 (for harp 2016)
3「哀歌」 (for violin and harp 2011)
4「愛について」 (for violin and harp 2014)
5「その橋は天へと続く」 (for sho, viola, harp and kugo 2015)

佐々木冬彦(ハープ 1-5 & 箜篌 5)
宮野陽子(ヴァイオリン 3-4)
市坪俊彦(ヴィオラ 5)
伊藤えり(笙 5)
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昭和27年の「レコード芸術」創刊号

2017.04.29.Sat.11:55
先週でた「レコ芸5月号」は創刊800号の記念誌。
昭和27年(1952年)の創刊号が特別付録に付いてくる
というので買ってきました。

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表表紙には指揮者のトスカニーニ。
裏表紙は、トスカニーニ&NBC響の「悲愴交響曲」の広告。
雑誌の定価が98円とありますが、地方売価100円って?
活字の書体や文字の多さ、小ささが昭和っぽい。
というか、今日4/29って「昭和の日」じゃん!!
別冊楽譜「悪魔のトリル」とあるのは、昔の付録に楽譜があったのかな?
文章を寄せている評論家や音楽家も重鎮がそろっています。
ピアノソナタのことを古風に「奏鳴曲」と記している方もいますね。
創刊号ということもあって、内容が非常に濃く力が入っていて
当時の音楽評論家のみなさんの気迫が感じられます。

その中にあって、ちょっとほっこりしたのは故・芥川也寸志(作曲家)のエッセイ。
題名は「私のイゴオル」。イゴオルというのは、イゴール・ストラヴィンスキーのこと。
彼の父・龍之介が遺した手回し蓄音機とレコードの中に
ストラヴィンスキーの「火の鳥」や「ペトルーシュカ」があり、
幼稚園生のころからおもちゃのようにそれを聴いていたそうです。
童謡より先に、ロシアのバレエ音楽が彼の頭脳に刷り込まれたようですね。
そういうところから、彼の音楽人生がはじまったのでしょうね。

私が子供のころ、『音楽の部屋』というTV番組を楽しみに見ていました。
司会がその芥川也寸志氏と、今も元気な黒柳徹子氏。
はじめてみた回でストラヴィンスキーの「春の祭典」が演奏された時、
このような荒々しい音楽があるのか!とビックリしたことがあります。
そういう点では、私は芥川也寸志氏にストラヴィンスキーを教えてもらった…
ということになりますね。
お小遣いで彼のレコードを買いに走りました。
初めて買った「春祭」は、
コリン・デイビス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウによる
とても印象的なジャケットのLPでした。

「レコ芸」だけでなく、SNSで知り合った方々やリアルな友人など
クラシック音楽好きの人々とは、いろいろな点で連綿としたつながりを感じます。

「未完成交響曲」の4楽章版

2017.04.18.Tue.22:23
私が偏愛するフランツ・シューベルトの交響曲は、
現在、演奏されるものとしては全部で8曲とされています。
私が持っている以下の5セットの交響曲全集もすべてそうなっています。
・ケルテス&ウィーンpo、
・サヴァリッシュ&SKドレスデン
・シュタイン&バンベルク響、
・グッドマン&ハノーヴァー・バンド、
・ブリュッヘン&18世紀オーケストラ

先日、なにかおもしろいCDないかなぁと思い、
アマゾンのサイトを眺めていたら
ネヴィル・マリナー指揮アカデミー管弦楽団の全集は
なんと10曲のシューベルトの交響曲などが収録されているという
ショッキングな内容であることが判明。
それが欠番になっている交響曲第7番・第10番。
加えて「未完成交響曲」が4楽章版になっている。
その他、交響的スケッチと断章がある。
これらはシューベルトが残した楽譜をもとに
イギリスの音楽学者ブライアン・ニューボールドが復元したそうです。
その時、ポチ病が再発。

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2週間ほど後、このCDボックスはオーストリアから送られてきました。
とりあえず一番好きな交響曲第8番ロ短調 D.759『未完成』を聴いてみました。
未完成交響曲は、私がプロのオーケストラではじめて聴いた交響曲です。
それは40年前(私は中1)の日立市民会館。
新日本フィルの特別演奏会(指揮は小澤征爾)。
なんて美しいメロディなんだろう…と大感激しました。

シューベルトの未完成交響曲の演奏は、こんにちでは2楽章です。
では4楽章版になるとどうなるのでしょうか?

第3楽章はシューベルトが中途半端に残した楽譜をもとにニューボールドが復元。
この曲の冒頭の数小節は、大昔の名画『未完成交響楽』で
一瞬だけ流れたのは記憶していました。
実際、ニューボールドが復元もそれと同じメロディでした。
映画の続きをみた感じですw。
ただ第3楽章全部を聴くと、舞曲のようでちょっと単調な感じ。

第4楽章は「ロザムンデ」の間奏曲が使われています。
この間奏曲は「未完成」の最終楽章として構想された説があるそうです。
知っている曲なので、ちょっと新鮮味がありませんでした。

従来の1・2楽章とあわせて通して聴くと、
やはり前2つの素晴らしすぎて、後の2つに音楽的内容がイマイチ。
全体としてみると、あたまデッカチになっている構成でバランスが悪い。
「未完成交響曲」は完全を求めて聴くよりも、
未完のトルソ的なものとして聴いたほうが良さそうですw。

ただこのCDは資料的な価値はあると思うので、
明日以降、未知の交響曲第7番と第10番を
ゆっくり聴きたいと思っています。
ちなみに収録されている曲目は以下の通りです。

シューベルト作曲
・交響曲第1番ニ長調 D.82
・交響曲第2番変ロ長調 D.125
・交響曲第3番ニ長調 D.200
・交響曲第4番ハ短調 D.417『悲劇的』
・交響曲第5番変ロ長調 D.589
・交響曲第6番ハ長調 D.589
・交響曲第7番ホ短調/ホ長調 D.729  (ニューボールド編)
・交響曲第8番ロ短調 D.759『未完成』4楽章版  (ニューボールド編とロザムンデ間奏曲)
・交響曲第9番ハ長調 D.944『グレート』
・交響曲第10番ニ長調 D.936A (ニューボールド編)
・交響的断章 ニ長調 D.708A   (ニューボールド編)
・交響的断章 ニ長調 D.615   (ニューボールド編)

アカデミー室内管弦楽団
ネヴィル・マリナー(指揮)
(録音時期:1981-84年)

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ヤノフスキが振る『神々の黄昏』その2|東京・春・音楽祭2017

2017.04.16.Sun.16:39
4/9付けの日記では、オペラ開演前の様子を記しました。今日はその内容について記します。ちょっとバタバタしていて、下書きを放置したままになっていました。
あまりオペラに関心がない方のために豆知識をちょっと書きます。ワーグナーが作曲した壮大な舞台祝祭劇『ニーベルングの指輪』は『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』という4つの楽劇から成ります。東京・春・音楽祭は4年計画を立て、一年にひとつを演奏会形式で上演してきました。ステージ上にオーケストラや歌手たちがのって演奏します。だからオペラを観たというより聴いたという感じですね。『神々の黄昏』は、英雄ジークフリートの死と世界の滅亡が描かれています。今回は『ニーベルングの指輪』の最終回。平日なのにほぼ満席。私は最終回の『黄昏』だけ、やっとチケットが取れて聴けました。

【演奏会前の降板劇が演奏に反映?】
今回の『神々の黄昏』は4/1と4/4の2回ありました。3月末に主催者の公式HPに、公演前のリハーサル中、主役のジークフリート役、ブリュンヒルデ役の歌手が体調不良に陥り、歌うことができず、出演者変更しますので悪しからず…という内容。これは非常事態です。実際に私が聴いた4/4は、ジークフリート役がロバート・ディーン・スミスに代わり、急遽来日したアーノルド・ベズイエンが務め、ブリュンヒルデ役は体調がなんとか回復したクリスティーネ・リポールがなんとか務めました。主演の交代劇は現場の関係者や演奏者に動揺が走ったことは容易に想像ができます。代役の歌手も十分に練習ができたのでしょうか?公演でも序幕から第1幕にかけて、N響はあまり鳴ってないなぁ…と思いましたが、そのような出来事が遠因になっていたのでしょうか?

【ヤノフスキのテンポ感】
指揮者マレク・ヤノフスキは、かなりはやいテンポで指揮をしていました。はじめはちょっと当惑しました。私の計測では以下の通り。括弧内は標準的な演奏時間の値です。
序幕+第1幕が約110分(120分)
第2幕が約60分(70分)、
第3幕が約75分。(80分)
近年、私が聴いた“はやい”と思った演奏はいつくか挙げられます。例えばパーヴォ・ヤルヴィ指揮&N響のマーラーの「復活」やアンドレア・バッティストーニ指揮&東フィルの「第九」など。彼らの早めのテンポ設定は、演奏に凝縮感や推進力が加わり、指揮者の意図が伝わってきました。一方で、ヤノフスキの“はやい感”はたんたんとした早歩き。。要所では多少の緩急があったものの、往年の名盤と言われている演奏とはだいぶ違った印象を持ちました。
前述した。緊急事態の時に指揮者の心理というのは、①どんな状況であっても自分のやりたい音楽を貫くのか? ②スクランブル状態にあわせて柔軟に対応するのか?どっちなのでしょう。演奏を聴いた印象では①30%②70%かな…。
ジークフリートという大役を急場でこなしたベズイエンは頑張ったとは思いますが、お世辞にも良かったとは言えません。声質が軽く声量もない。英雄ジークフリートとしては物足りませんでした。問題はあるものの、なんとか公演を完遂するために、ジークフリートの見せ場を快速気味のテンポで通り過ぎるようにしたのかな。悪くいうと粗を見せにくくする。好意的に言うと、全体的に早めのテンポでスマートでモダンな演奏を狙った。序幕や第1幕はあっさり気味で演奏を進め、英雄ジークフリートが悪役ハーゲンに殺され、その後のブリュンヒルデの自己犠牲のあたりからが出色の仕上がりで、そこがオペラの極点として設計した感じ。そこだけは、ワーグナーの音楽のコンセプトである「愛による救済」を凝縮したような演奏になっていました。

【今回の『黄昏』をサッカーのフォーメーションに喩えると】
今回の公演は、主役の英雄ジークフリートが不調の中、他の歌手の好演に助けられた印象があります。登場人物の人間関係を私が好きなサッカーに喩えるなら、2004~05年ごろのACミランの「アルベロ・ディ・ナターレ(クリスマス・ツリー)」と言われてた4-3-2-1という中盤を厚くしたポゼッション重視の構成感に似ています。1トップのFWよりも、中盤の5人の距離感や位置関係が重要なのです。特にレジスタとクラッキと呼ばれるポジションが重要な役目を担っています。

---------FW-------- ←不調のジークフリート
--------------------
------MF---- MF ---- ←ワルキューレの姉妹
--------------------
--- MF ---MF --MF ---←ギービヒ家の悪い人たち
--------------------
-DF---DF---DF----DF-←「ラインの黄金」関係者
---------------------
-------|GK|--------←N響

今回の出演者をこのフォーメーションを当てはめると、こんな感じかな。
FW:ひとりだけ不調なの英雄ジークフリート
攻撃的MF:ブリュンヒルデ、ヴァルトラウテ(ワルキューレ姉妹つながり)
守備的MF:ハーゲン、グンター、ゲートルーネ(ギービヒ家つながり)
DF:アルベリヒ、3人のラインの乙女(序夜「ラインの黄金」つながり)
GK:N響

ワルキューレの姉妹とギービヒ家の3人の5人の頑張りで、なんとか公演の急場を乗り切ったという感じと言えるのではないでしょうか。攻撃的中盤のレジスタは攻撃の核となるのでFWジークフリートと熱愛関係のブリュンヒルデとし、クラッキは守備的中盤の要であるだけでなく第2のFWとして攻撃参加するハーゲン。ブリュンヒルデ役のリボールは、体調が万全ではないようでしたが、最後の「自己犠牲」の場面ではなかなかの熱演をみせてくれました。少しキンキンした声質だったけれど往年の大歌手ビルギット・ニルソンにちょっと似てたかな?英雄を殺害するハーゲン役のアイン・アンガーは終始、重厚な声が朗々としていて素晴らしかった。今回の『黄昏』は悪の英雄ハーゲンが主役だったと言ってもよさそう。ディフェンス・リーダーのアルベリヒとクラッキのハーゲンは親子関係でもあるので、最終ラインの悪の枢軸関係が第2幕冒頭の二重唱でよく出ていた。

【序幕の「夜明け」のシーンで思ったこと】
序幕の「夜明け〜ジークフリートのラインへの旅」は私が好きな箇所ですが、管弦楽でも単独で演奏される佳曲。しかしヤノフスキはそこにはあまり思い入れがないかのおうに、スゥーと通り過ぎるような指揮。しかし「夜明け」に漂う薄い暗い雲のような響きがとても腑に落ちました。ジークフリートに起こる悲劇を暗示するものになっていたと思ったからです。そう思ったのは、3月の茨城国際音楽アカデミーinかさまで桐朋音大学長の梅津時比古氏の講演を聴いたことに起因します。シューベルトの歌曲を例にしながら梅津氏の日独の言葉のイメージの差異がある話を聴いたばかりでした。日本人は「夜明け」という言葉から新しいことがはじまる期待感を、一方でドイツ人は夜明けのひかりは薄暗いことから不吉や不安を感じるそうです。言葉の持つ意味やイメージのちがいが演奏に出ることを再認識した箇所になりました。

【オーケストラについて】
今回の私の席は、3回の右側バルコニー席。実際、ステージに向かって右側がよく見えませんでした。そのせいか低減の音があまり聴こえてこなかった。そのためか、全体的に重心が高く、重厚な響きがあまり感じられませんでした。別の言い方とするなら、室内楽的な響きとも言えるでしょうか。もっといい席で聴いたら印象が違っていたかもしれませんが…。ゲストコンサートマスターのライナー・キュッヒル(元ウィーン・フィル)は、まあまあオーケストラを統率しているように見えました。CDではなかなか聴こえてこなかったバス・クラリネットの音がよく効いていたのが発見でした。ホルン群も奮闘していたとは思います。

【歌手について】
前述しましたが、私が『黄昏』でもっとも注目するのは英雄ジークフリートとその敵役のハーゲンです。英雄と悪役の対決は、ハーゲン役を歌った巨漢のアイン・アンガーの完全勝利。重厚で圧倒的な声量と存在感でした。ジークフリート役のベズイエンはリリック気味の声質。急な代役だったことを差し引いても、英雄ジークフリートにふさわしい声とは思えなかったです。ちなみに私は重めの声のテノールが好き。昨年の『ジークフリート』でタイトルロールを歌ったアンドレアス・シャーガが代役で来てくれたらよかったのに…。

【映像と字幕】
本公演は演奏会形式でした。だから基本的にはオペラを聴く…というものですが、ステージ奥にスクリーンが設置され、そこには演奏内容に関連したCGによる風景が映し出されていました。ローゲの火で覆われた岩山の景観など、なかなかよく出来ていました。場面の情景を想像する一助になります。音楽が第一になることをふまえたもので、あまり主張しない良識的な映像になっていたのも良かったです。一方で、字幕の文章が難解で読みにくかった。読めない漢字、一般的ではない文語的な言葉遣いがありました。映画の字幕の方がずっと分かりやすいと思いました。

【その他】。
来年の東京春祭は、フローリアン・フォークトがタイトルロールを歌う『ローエングリン』らしい。これは聴きたい!それとホワイエでは、ワーグナー指揮者の飯守泰次郎氏と小泉純一郎氏に似た方を遠目で見かけたけれど、本人だろうか?小泉氏は新国の『さまよえるオランダ人』でも見かけたことがあります。オペラが好きであることは公言していたから、元首相が私人として来ていてもおかしくないですよね。

■ワーグナー作曲 舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」第3日『神々の黄昏』
■2017.4.1火曜15:00開演@東京文化会館 大ホール
■出演

指揮:マレク・ヤノフスキ
NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀

ジークフリート:アーノルド・ベズイエン
グンター:マルクス・アイヒェ
ハーゲン:アイン・アンガー
アルベリヒ:トマス・コニエチュニー
ブリュンヒルデ:クリスティーネ・リボール
グートルーネ:レジーネ・ハングラー
ヴァルトラウテ:エリーザベト・クールマン
第1のノルン:金子美香
第2のノルン: 秋本悠希
第3のノルン:藤谷佳奈枝
ヴォークリンデ:小川里美
ヴェルグンデ:秋本悠希
フロースヒルデ:金子美香

ヤノフスキが振る『神々の黄昏』その1|東京・春・音楽祭2017

2017.04.09.Sun.11:23
先週(4/4)の火曜日、上野の東京文化会館で、名匠マレク・ヤノフスキ指揮によるワーグナーの楽劇『神々の黄昏』を聴いてきました。上野公園の桜は9分咲きぐらでしょうか。上野駅の公園口は、花見の行楽客にオペラの入場者が加わったため、星の数ほどのヒトとサクラ。

開演1時間前にバイロイト音楽祭のように、ファンファーレ演奏があると聴いていたので、14時前に上野へ到着。すると演奏者が立つと思われるバルコニー前にはすでに人が集まっていました。ワグネリアンと覚しき男性たちの会話に耳を立てると「初日はジークフリート役がイマイチでしたねぇ」「代役だから仕方がないよね」「テンポが早かったね」など、いろいろ事前情報をキャッチできました。初日の感想がネットで飛び交っていたものとほぼ合致したものでした。

14時ちょうどに、ファンファーレがはじまりました。私は手持ちで動画も撮りました。『神々の黄昏』に出てくるジークフリートやブリュンヒルデのライトモチーフを基にした編曲でした。ブラスの皆さん、ちょっと練習不足かな…と思いながらも、ワーグナーの音楽にのせられて高揚感が湧いてきます。

https://www.youtube.com/watch?v=z7JPVwud-0c



ブラス・アンサンブルが引き、右をみると、ちょうど西洋美術館の正面。テオドール・シャセリオー展の開催を知らせる大きなパネル。そこには「ガバリュス嬢の肖像」。この美女のイメージは、『神々の黄昏』の役柄に相当するのは、主役のひとりブリュンヒルデというよりも、準主役級のグートルーネかな。その絵画の表情は、元ワルキューレ軍団のブリュンヒルデの屈強なアマゾネス的なイメージではなく、清楚で深窓の令嬢的なのでゲートルーネかなと考えますw。ワーグナーの愛人だったマルティデ・ヴィーゼンドンクとガバリュス嬢は容姿や雰囲気が似ているかも。そういうことを考えると、ヴィーゼンドンクと付き合っていたころに作曲した『トリスタンとイゾルデ』で、主人公たちが飲んだ媚薬と、ゲートルーネがジークフリートに飲ませる薬酒が重なってみえてきます。ワーグナーは物語を展開させるために、媚薬や薬薬や聖杯など「飛び道具」を使うのが好きですよね。

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開演まであと1時間。私がすぐに入場せずに、上野公園の方まで歩いてみました。上野公園の春爛漫の中、オペラ開演前の高めのテンションは、なんとも言えぬものがあります。

(続 く)

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